さみしい山にひとり – 大鳥屋山 / 岳ノ山
谷底を這う林道には光が差さず薄暗い。
打ち倒れた道路標識がかつてはここにも車が走っていたことを物語っているものの、今では荒れ果てて見る影もない。
うらさびしい林道からうらさびしい登山道に入り、うらさびしい山頂に着いた。大鳥屋山の山頂だ。
ここまで一人も出会っていない。林道の駐車スペースに他の車は停まっていなかったので、おそらく今日は誰にも出会わないだろう。
山が混雑してるという不満をしばしば耳にするが、人が多いのは人気のある極一部の山だけで、日本全国には人の気配の薄い山は無数にある。
混んでる山が嫌ならば混んでない山へ行けばいいと思うのだが、山が混んでると不満を言う人はなぜだかそういう山へは行こうとしない。みんなと同じ山に行きたいけど、みんなが来るのは嫌だってのは、なかなか難しい要求だろう。
大鳥屋山から岳ノ山まで稜線を歩く。
途中にアスレチック的な箇所を通過したが、アルパインチックなのはそこだけで、あとはひたすら地味であった。
岳ノ山も地味な山の地味な山頂だった。でも、こういう山も良いものだよ。孤独と向き合い、自分の中へ深く沈んでいくような山歩きも。日本アルプスや八ヶ岳だけが山じゃないし、みんなでわいわいだけが楽しい登山ではないと思う。
岳ノ山からも林道へ下山できるようなので、来た道を引き返さずに直接下山した。
林道に出ると滝への入口を示す案内板があった。地形図にも滝の名が記されていて、有名な滝のようだ。せっかくなので寄り道していくことにした。
林道から外れて沢へと降りていく。急斜面に付けられたジグザグの踏跡をしばらく下ると平坦な沢岸に出た。そしてそこには階段の付いたステージがあった。滝を見るための展望台なのだろう。ずいぶん長い間手入れされてないようで、まるで廃墟の廃物のようだ。黒ずんでいて、いまにも崩れそうである。
恐る恐る登ってみた。乗ったら崩れそうに見えたのだが、作りは意外としっかりしていた。
展望台に上がり正面の滝を見たが…なんじゃこりゃ?
どこが滝なのだろう。かつては滝だったのが土砂で埋もれたのか、それとも水量が減ったのか。よく見るとチョロチョロと流れ落ちているが、あれが滝の成れ果てなのだろうか…
なんだかおかしくなってきた。さみしい山のさみしい山歩きの最後にふさわしいオチだった気がする。
2025年3月