下山家K女史 – 川苔山 / 鋸尾根

「ちょっと荷物持ってよ」

えっ、いきなりですか…。

バスを降りたK女史の最初のひと言がこれでした。

お昼ご飯は用意するというので身軽に登るつもりだったのですが、運ぶのはわたくしの役目のようです。

「ほとんど何も持ってないんだからいいでしょ!」

そう言ってK女史がザックから取り出したのは、とても二人分とは思えない量の食料でした。

いったいだれがこんなに食べるのでしょう…。

増便含めて計5台の一番最後のバスで川乗橋に着きました。

そろそろ冬なので奥多摩も空いてるかと思って来ましたが、まだ秋の終わりだったようで、天気も良く大混雑しています。

渋滞にハマりつつぞろぞろ並んで沢沿いの道を歩き、百尋の滝まで来ました。滝壺ギリギリまで行って、天然ミストを全身に浴びます。

振り返るとK女史がいません。探してみたら、滝から離れたところで人混みにまぎれて座り込み、登山靴を脱いでなにかしています。K女史のところまでもどり、滝壺まで行ってきてはと提案しました。

「ん、いや、いい…」とK女史はなぜか苦笑いしています。

何日も後でK女史のヤマレコを見て知ったのですが、この時は沢にドッポンして、靴の中をぐっしょり濡らしていたのでした。

どうやらその場では黙って隠してたようです。

百尋の滝を過ぎると、本格的に登りが始まります。

分岐は右へ、足毛岩方面へ進みました。たいていみんな左へ行くので、こっちのほうが静かです。距離が少し長くなることはK女史には黙っておきます。

「えー、こんなに下るの〜」

分岐からは一旦下って沢を越えます。下るといっても標高差ほんの10mくらいです。しかしK女史は、10mの登り返しでもご不満のようです。

尾根に乗ると、葉を落とした木々の向こうに川苔山の山頂が見えました。
K女史はチラッと見上げて、イヤそうな顔でため息をついています。

目指す山頂が見えると誰でもテンション上がるものだとばかり思ってましたが、K女史は山頂が見えるといつも、それはもうとてもイヤそうな顔をします。「えー、あんなに登るの〜」とか「うわぁ、キツそう…」とか「もうつかれた〜〜」とか、心の声が聞こえてきます。やはりK女史は、山登りはあまりお好きではないのでしょう。

カサカサと落葉を踏みしめて、冬枯れの尾根を登ります。

急登の途中で振り返ると、K女史はずーっと下のほうで、腰に手を当てうなだれて、左右に体をゆらしつつ、ゆっくりゆっくりイヤそうに歩いてました。

すっかり落葉した明るい尾根の気持ちいい急登を、一気に登ると山頂でした。

山頂は、まさに芋の子を洗うような大混雑。狭い山頂は人でいっぱいで、曲ヶ谷への分岐方面のなだらかな斜面にも人がずらずら並んで休憩しています。

われわれも山頂から離れた比較的静かなところでお昼ご飯にします。お昼ご飯はK女史が用意し、わたくしが背負わされた、多量のおでんと太巻きでした。

下山は鋸尾根を歩きます。大ダワを経由しないで下れば楽ですが、杉の樹林帯をだらだら歩くのは楽しくありません。

K女史に説明すると拒否されるのは間違いないので、黙って鋸尾根への分岐で曲がります。「この先、難路」と書かれた道標の張り紙は背中で隠して見えないようにしておきました。

分岐からはいきなり登りになります。その後も鋸尾根の名の通り、登ったり降りたりを繰り返します。登りになるたびに、背後からため息が聞こえてきます。下りになっても、荒れた登山道に少々手間取っています。

「ずーっとこんな道なの〜?」

最初だけですから…。

そうして、イヤイヤながらもなんとか鋸尾根を歩き通しました。

大ダワまで降りると、コブタカ山から本仁田山への登りが待っています。大きな登りを前にして、いちおうK女史に尋ねてみました。

この山を越えると奥多摩だけど、どうします?

「ありえない…」

そう呟いて、力なく首を振りました。

「鳩ノ巣鳩ノ巣、鳩ノ巣でいいよ」

出発前は、帰りに奥多摩でビール飲むんだ!と息巻いてたK女史ですが、この後に及んでの登りは完全拒否のようです。ビールの誘惑も登り坂には勝てませんでした。

しかたないので、鳩ノ巣駅までだらだらと杉の植林地帯を下ります。下りのみだとK女史も楽しそうに軽やかに歩いています。登山は好きじゃないけど、下山はたいそうお好きなようです。

日も傾き薄暗くなりかけたころ、鳩ノ巣駅に到着しました。

「じゃあ、行くわよ!」

東京行きの電車は見送り、奥多摩行きに乗り込みました。

鳩ノ巣に下山したのに、奥多摩へもどってビールです。山には登らないけどビールは飲む。

さすがです。