昭和の魂 – ワゴニア

青空、荒涼とした砂礫の斜面、打ち捨てられ朽ち果てた車。もう何年も前になるが、初めてその写真を目にした時、強く惹きつけられた。

これはどこだ?もしかして富士山?

調べてみると、やはり富士山だった。かつて富士山を車で登ろうとして登れず放棄された車が今でもあるという。通称ワゴニア、乗り捨てられたグランドワゴニアにちなんで、そう呼ばれているようだ。

これは行ってみたい!行かなければならない!

ワゴニアを目指して御殿場口の新五合目から歩き始めた。当然だけどワゴニアは登山道近くではない。五合五勺から1kmほど外れた場所にある。登山道を登っていき、このあたりかなと思ったところには、ご丁寧に踏み跡が付いていた。見に行く人もそれなりに多いのだろう。

早朝は申し分のない快晴だったのに、雲が出てきたなと思ったら、たちまちガスに巻かれて周囲は真っ白になってしまった。青空の下のワゴニアを見たかったが、こればかりはしかたがない。とにかくワゴニアを目指す。

前方にそれっぽい点が見えてきた。あれかな?あれかな?と期待して進んでいく。点は次第に大きくなり、やがてハッキリとその姿を現した。

やった、来たぞ、ワゴニアに。

写真で見たよりだいぶ劣化が進んでいる。タイヤは4本ともない。ボンネットもなくエンジンルームはむき出しだ。運転席は瓦礫に埋まりつつある。それでも何十年もの間、富士山の標高2100m地点という過酷な環境に放置されてなお原型をとどめている。

これは昭和の魂だ。青年が熱く煮えたぎっていた時代の遺物だ。裕福ではないが、毎日が輝いていた。自由な空気と未来への憧憬があった。そんな時代の残り香だ。

もしも現在、これと同じ行為をしたらどうなるだろう。

世間から冷たい目で見られるのは昔も今もあまり変わらない。当時だって眉を顰める大人はいただろうし、苦言も呈されたはずだ。しかし、大人の言うことなんかには耳を貸さなかった。俺たちは俺たちの好きなように生きるんだという気概があった。

いまなら間違いなく非難の集中砲火を浴びるだろう。大人だけでなく、同世代からも叩かれるはずだ。叩きやすい行為は集中的に叩かれる。みんなが正義を振りかざすチャンスを求めている。そんな時代だ。

そしておそらく謝罪させられるだろう。

窮屈な時代だが、窮屈にしてるのは自分たちなのである。

2023年10月