エントロピーを増大させろ – 市房山
登る登る登る。ひたすら登る。歩き始めてからずっと登りだ。
八号目を過ぎると森林限界を超えた。頂を目指して登り続ける。よく晴れたいい天気だ。新年最初の登山にふさわしい晴れやかな日になった。
今日の山は市房山、熊本と宮崎の県境にある日本二百名山だ。この辺りは山深く、見渡せば山並みが幾重にも連なる。
疲れてきたし小腹も空いた。最後の登りに備えてエネルギー補給しようかとも思ったが、せっかくだから山頂でゆっくり昼ごはんにしよう。途中のコンビニで買ったパンだけど、雄大な景色を眺めながらゆっくり食べたい。
もうひとがんばりして山頂に着いた。予定通り2時間半で到着。順調だ。
風はおだやかで、ぽかぽかと暖かく、絶好の登山日和だ。最高の元日だな、今年は良い一年になりそうな予感がする。
こじんまりとした山頂は見晴らし良く、周囲の山々が見渡せる。まったく馴染みのない山域なので、どれがどの山なのかはさっぱりわからない。
となりのカッコいい山は石堂山かな?あそこもいつか登りたいな。
ひとしきり山頂を堪能したので、腰を下ろしてお昼ごはんにしよう。ザックを開いて、登りの途中で食べずにとっておいたコンビニパンを…
あれ?ないぞ?一番上に入れたはずなのに…
ザックをガサガサかき回してもない。念のために荷物をすべて出してみたが、やはりない。ここまで一度もザックを開いてないから、途中で落とした可能性はゼロだ。
なんてこったい、車に置き忘れてきたのかよ…。
さて、困ったぞ。朝ごはんは食べたし、それほど長時間でもないので他に食料を用意してない。ザックを引っかき回したら飴がふたつと塩分タブレットがひとつ出てきた。これが手持ちすべての食料だ。
山頂の道標には、北へ5分のところに心見ノ橋という場所があると表示されていた。その先の縦走路は崩落で通行止めだが、心見ノ橋までは行けるようだ。心見ノ橋がどんな場所なのかまったく知らないが、お昼ごはんを食べたら見に行くつもりだった。でもそんなことしてる場合じゃないな。そもそもお昼ごはん食べてないし。
それにしても上りの途中、八号目を過ぎたあたりで休憩しなくてよかった。あそこで食料がないとわかってしまったら、さらに登る気力が出たかどうか自信がない。山頂まで来てしまえば、あとは下るだけだ。まだぜんぜん動けるし、よしんばシャリバテしたとしても下るだけならなんとかなる。
靴のヒモを固く締め、唯一のエネルギー源であるふたつの飴を口に入れた。あとはもう一目散に下るだけだ。
快調に下る。気合いが入ってるから速い。二個の飴のエネルギーが尽きる前に下山したい。どんどん下る。どんどんどんどん。そろそろ九合目でもいいはずなのに、なかなか九合目の表示板にたどり着かない。
市房山の登山道には一合ごとに余計なひと言をそえた表示板があって、七合目は「いい事ありそう七合目」、八合目は「何事もやればできるぞ八合目」だった。九合目はなんだったっけな?と思い出しながら下ってたのだが、もうとっくに九合目でもいいはずなのに、まだ着かないのだ。
あとどれくらいあるのだろうとGPSを確認した。一瞬なにが起こってるのか混乱したが、状況を理解するとさーっと血の気が引いた。
下る登山道を間違えてるじゃないか!!!
市房山には、登りに使った南側の宮崎県からの登山道、崩落で通行止めだが北からの登山道の他に、西の熊本県側からの登山道がある。それを下ってしまったのだ。南の宮崎県へは山頂の裏手へゆるやかに移動してから下るのだが、北と西へは山頂から直接下る。気があせっていたのだろう。よく確認せずに目の前の登山道を降りてしまったのだ。
山頂から下るときは必ず確認すること。GPSがあるからいいものの、なにもなければ下山するまで気づかない可能性もある。そもそもGPS頼りの登山はダメだ。
反省点はたくさんあるが、いまはこの状況をどうするか考えよう。食料もないしエネルギーも尽きかけているのだから、できればもう登りたくはない。だが、このまま熊本県側へ下っても、長大な山脈をぐるっと回って駐車場所までもどるのには何十キロも歩かなければならないだろう。やはり登り返し一択だ。そうと決めたら行くしかない。
あんなに急いで下ってきた道を、今度は喘ぎながら登るのだ。まったく、なにやってんだか。
つかれてきたからか空腹だからか、なんだかハイになってきた。そうだ!どうせまた山頂まで登るのなら、その勢いでついでに心見ノ橋まで行ってみよう。たかだか5分の距離を往復したって全体からみたら誤差の範囲内だ。だったら最初から行っとけばよかったのに、さっきは動揺して早く下山しなくちゃと思い込んでしまったのだ。やらかしても落ち着いていられるだけの心の余裕を持たねばならない。
「山頂まで5分」の表示までもどってきた。つい先ほどの下山時に通過したとき、あれ?登りでこんなのあったっけ?見落としたのかな?と思ったのだが、見落としたんじゃなくて初めて通過するんだよ。あのとき気づいていれば傷口も浅かったのに、思い込みってのは人を惑わせるものだ。
再びの山頂から北側の縦走路へ踏み出した。北側斜面なので残雪がある。アイゼンを出すほどではないものの、両側が切れ落ちた急斜面だ。足を滑らせたら大ケガではすまない。慎重に行かねばならない。けれども先ほどまでの自分ではない。心に余裕と大胆さがある。もう大丈夫だろう。
ゆっくり進んだので10分近くかかったが、下る先に石の橋のようなものが現れた。あれが心見ノ橋だな。確かに橋に見えるが、あの上を通過するのはかなり怖い。
さすがに石の橋の上を歩かせるようなことはなく巻道が付いていた。横から見ると岩と岩の間に岩が挟まって橋になっているのがわかる。こういう名所的なものは、わざわざ見に来てもふーんで終わってしまうものだけど、パスしてしばらく心残りになり、やがて忘却の彼方へ消え去ってしまうのではなく、こうしていちおう見ておくほうが満足感が高い。
さて、今度はほんとに下山だ。まったく順調でもなく予定通りでもないが、楽しい一日ではある。
考えてみたら、予定通り順調に登山を終えてもそれはそれで楽しいけれど、予想できない状況に巻き込まれ、それに対処してこそおもしろさは増す。計画通りの登山は秩序だってはいても、意外性が不足している。それはエントロピーが小さい状態であり、エントロピーを小さくするために、つまりは計画通りに行動するためにエネルギーを消費していることになる。忘れ物のないように注意し、道を間違えないように神経を使い、人生のレールを踏み外さないように汲々とする。それでは瞬間瞬間をエンジョイする余裕が無いではないか。
エネルギーは楽しむためにこそ使うべきだ。秩序を破壊してエントロピーを増大させよう。カオスの中にこそセンス・オブ・ワンダーが存在する。この世界を楽しむには、十分なでたらめさ加減が必要なのだ。自分で食料を忘れ、自分で道を間違え、自分でカオスを作り出して今日というかけがえのない一日を最大限にエンジョイするのだ。
「くるしさのりきれ九合目」の表示を確認し、八合目、七合目と順調に通過して、「ぼちぼち登ろう六合目」「中間地点だ!五合目」を横目に眺めて登山口の駐車場に帰ってきた。やれやれ。
やれやれな一日だったな。というか、だいたいいつもやれやれだ。今年もやれやれで楽しい一年になるのだろう。
そんなことを、助手席に置き去りにされたコンビニパンをかじりながら思った。
2025年1月