東濃謎カツ丼

東濃と聞いてどこのことだかすぐにわかる人は、それほど多くはないだろう。

東濃というのは濃尾平野の東部、縦長の岐阜県の右下が出っ張って、愛知県と長野県の間に割って入った地域を指す。中央道で、または中央本線で名古屋から長野へ向かう際には、一旦岐阜県に入り東濃を通過することになる。具体的には、多治見市、土岐市、瑞浪市、恵那市、中津川市の5市が東濃に当たる。

ここには、実に地域性に富んだカツ丼が、いまでもあまり全国区の人目に晒されずに生き残っている。
特徴的なのは、この狭い地域に数々の変種が点在している点である。

東濃謎カツ丼の世界

1. てりカツ丼(土岐市)

愛知県に近い側から順に見ていくと、最初の謎カツ丼は土岐市の「てりカツ丼」になる。分類上はソースカツ丼系になるが、ケチャップとウスターソースを混ぜて煮干し出汁で伸ばしたようなソースは、洋風なのか和風なのか混乱する風味だ。

てりカツ丼を提供する店は市内に数店舗あり、一般的な卵とじのカツ丼も合わせて提供する店の他は、メニューにただ「カツ丼」とだけ記されている。これは、このスタイルが当地の標準ということを示している。余所者が知らずに注文すると、唖然とすることだろう。

2. あんかけカツ丼(瑞浪市)

瑞浪市の「あんかけカツ丼」は、ソース系ではなく卵系のカツ丼になるだろう。しかし食べてみると卵感がまるでない。かき卵のあんがカツにかかってはいるが、卵はほぼ飾りに過ぎず、薄味のあんの味がするばかりだ。卵が高価で貴重品だった時代の苦肉の策の名残りである。あんの味付けも当時からほとんど変わってないと思われる。

ここでも複数の店舗で同種のカツ丼が提供されている。地元民しか訪れないような店では、メニューに「カツ丼」とだけ記されてるのも同様だ。

3. 目玉カツ丼(恵那市、旧山岡町)

世のカツ丼は卵系とソース系に二分できるとするなら、このカツ丼はソース系になるだろう。しかしそこへ卵とじでなくソースで煮込んだ半熟目玉煮が乗せられているものは他では見ない。ソースカツ丼と卵のせカツ丼のハイブリッド変化系である。ソースの風味もニンニクの効いた甘辛醤油味で、カツはバラ肉で、なかなか個性的なカツ丼だ。

瑞浪市にも同様のカツ丼を提供する店があるが、そちらは旧山岡町出身の方が経営してるらしい。つまりここでは、このスタイルが標準ということだ。

4. 大正カツ丼(恵那市、旧明智町)

いまでは大正村としてオープンミュージアムにもなっている旧明智町は、かつては産業が盛んで人口も多かった。その時代の繁華街の洋食店で提供されていたのがデミグラスソースのカツ丼であった。デミグラスソースといっても、おそらくは日本風のものであったろう。

失われてしまったデミグラスソースカツ丼は、大正カツ丼という名で復活した。といっても、現代風にコクと旨味を増していて、当時の味そのままではないと思われる。
いずれにせよ、かつてはこの地にデミグラスソースのカツ丼が存在したのだ。

5. 炒め玉ねぎカツ丼(恵那市、旧岩村町)

旧岩村町のカツ丼は、いわゆるソースカツ丼である。しかし、ソースにくぐらせたカツの上にソースで炒めた玉ねぎを乗せることによって、他のあらゆるソースカツ丼とは一線を画すものとなっている。なぜ炒め玉ねぎなのか、なぜカツの下ではなく上に乗せたのかは謎である。

6. 醤油ダレカツ丼(中津川市)

カツオ出汁の効いた醤油ダレのカツ丼は、中津川の名物を作ろうと近年に創作されたものであるらしい。謎カツ丼の乱立する東濃で、あらたな謎カツ丼によって名乗りを上げた。長い年月の後には、地元の味として確立するであろうか。

中津川市を過ぎると長野県に入り、ここから北はソースカツ丼が席巻することになる。

東濃の謎カツ丼を考える

味噌カツ帝国名古屋と伊那・駒ヶ根のソースカツ丼王国に挟まれた東濃地域に、なぜこのようにバラエティ豊かなカツ丼が存在するのだろう。

この地域にカツ丼が伝わった時代は、交通の便もそれほど発達しておらず、情報の伝達も今とは比べ物にならないほど遅かった。その情報も、写真すらなく口伝てに伝えられたに違いない。

カツ丼という食べ物が流行ってるらしいぜと耳にした当地の商売人が、想像と試行錯誤の末に生み出したのが、この謎カツ丼群ではないだろうか。伝わったのがソース系だったか、卵とじ系だったかで、その後の変化形が決まっていった。そして、ある店で提供され始めたカツ丼が評判となり、周辺の店舗にも広まっていったと思われる。

このあたりは山深い地であり近隣の町との交流もそれほど盛んではなかったため、大きな地域的流行となることもなくそれぞれの街で独自進化し、そのままガラパゴス化したのではないかと考える。

以上が、なんの資料的裏付けもない、勝手な東濃謎カツ丼考である。

東濃の謎カツ丼をひと通り食べ終えたいま、西濃地域にも多種多様な謎カツ丼が存在すると耳にした。そうと知ってしまったら行かずにすますことはできない。

カツ丼を巡る旅は終わらない。