艱難と辛酸のクリヤ谷 – 前編

暑い。真夏の太陽がギラギラと照り付ける。風は無く、蒸した空気が体にまとわりつく。全身の毛穴から汗が吹き出す。

それにしても喉が渇いた。

沢を登るのだから、水はいつでも補給できるはずだった。実際に、登り始めは豊富な水量の沢に沿っていた。足を濡らさなければ渡れない徒渉も何回かあった。それが、踏跡は次第に沢から離れていき、いまはもう水の流れる音も聞こえない。

あぁ、喉が渇いた。

残りの水は多くはない。もう1リットルもないだろう。一気にすべて飲んでしまいたい衝動に駆られるが、この先の行程を考えると思いとどまるしかない。なにせ、まだ今日の予定の3分の1しか登っていない。

まもなく最後の水場があるはずだから、そこで水を補給する予定だった。しかし、いつまでたっても水場には着かない。沢からもどんどん離れていく。今年は雨量が少なく、水場が枯れている可能性もある。すでに通過してしまったのかもしれない。もしも水を得られなかったら…と想像すると、残りの水は大切にせざるを得ない。

頭がくらくらする。

朦朧とした意識で考える。下れば水はある。だが、水の得られるところまで下ってしまえば、もはや登り返す時間はない。

脱水症状になると、正常な判断力は失われる。

連日の酷暑も、ここ数日は和らいでいたため、秋になった気になっていた。しかしまだ十分過ぎるほど夏であった。

考えてみれば、毎朝起きたらコップ2杯の水を飲み、会社に着いたら冷たいお茶を飲み、仕事中にも2本から3本のミネラルウォーターを飲む。たいして体も動かさないのにだ。昼ごはん時にも、水を何杯もおかわりして飲むから、合計すれば日中に3リットル近くの水分は取っているはずだ。

それなのに、早朝から登り続けて、2リットルのプラティパスでやり過ごそうとしているのだ。計算が合うわけがない。仕事中とは異なり、直射日光にさらされながら体を動かしているのにだ。

ふと気づくと、足元が湿っていた。ついに幻覚が見え始めたかと思ったが、いや違う。水だ。水が流れている。

それは一筋の細い流れだったが、間違いなく上から流れてきていた。地面にカップを当てて水を得ようとしたが、とても溜まるほどの流れではない。とにかく登ろう。

流水に削られた細い道を一直線に登って行く。どこまで登っても流れは細いままで、このままチョロチョロで終わったらどうしようと不安になる。

緑が無くなり、ガレた沢に出ると。岩場の隙間から水が染み出していた。あれだ。あれが最後の水場だ。あれならなんとか汲めそうなくらいには出ている。

岩によじ登り、染み出す水をカップに受けて何杯も何杯も飲んだ。

ようやくひと息ついたので岩に腰掛けて体を休めた。脱水状態で登ってきたので、すでに激しく消耗している。樹林帯を超えて眺めが良い。向かいに見えるのは焼岳だな。そういえば、景色なんて気にする余裕もなかった。

プラティパスを満タンにして、この後の行程に備える。

さあ、登るか。稜線まであと少しだ。

ガレた沢を詰めて行く。が、しかし、あれ? これって登山道か?

ここまでも未整備の不明瞭な山道だったが、ここは人が歩いた形跡が見られない。

地図を出して確認すると、登山道は途中で右へ曲がって、山肌をトラバースしながら標高を上げている。水を求めて一直線に登ってきたので、分岐点を見落としたのだろうか。道など見た記憶はないが、意識が朦朧としていたせいかもしれない。

このまま沢を詰めても稜線には出られそうだが、登った先がどうなっているかわからない。

仕方がない。ここまでだ。下山しよう。

つづく