艱難と辛酸のクリヤ谷 – 後編

時間も体力も大幅にロスし、正しいルートもわからないので今回は撤退する。

撤退しながらも左側に注意して分岐点を探す。もしも正しいルートが見つかったらどうするか、さすがに時間切れだから今回は見送りだろうか、もやもや迷いながら下る。

だいぶ下ってきたところで、左側に細い道があった。両側に笹が茂っていてほとんど隠れてはいるが、確かにしっかりとしたトレイルだ。

それは、地面が湿っていることに気づき、細い流れを追って上へ上へと登り始めた地点だった。水のことで頭がいっぱいで、周囲の状況はまったく見えてなかったようだ。笹で覆われたトレイルの入口を見落として、沢筋を直登してしまったらしい。

すでに3時間以上もロスしている。この先の道のりの長さを考えると、諦めて下山するのがセオリーかもしれない。しかし、道があるなら登らないわけにはいかない。

肩から背丈ほどの高さの笹藪は想像以上にウザかった。笹をかき分けて進むが足元は見えない。山肌をトラバースして標高を上げていくトレイルは、ところどころで崩れていた。そんな崩れた箇所に足を置いてしまうと、ズザーっと滑って斜面へ落ちることになる。笹が茂っているから滑落することはないが、いちいち体力と気力を削られる。

ふと気づくと、前方から沢の音が聞こえていた。間違いない、水の流れる音だ。それもかなりの量の流れだ。

半信半疑で進んでいくと、そこが本当の最後の水場であった。

なんだか力が抜けてしまった。ここにこんなに豊富な水場があるとわかっていれば、あんな苦労はしなかったのに。手持ちの水を飲んでしまっても問題はなかったのに。

でも、そうじゃないんだよ。事前にすべてがわかっていたら、ただ情報をなぞるだけの山旅になってしまう。不確実な状況下で、いかにして生き延び、目標地点に到達するか。登山の楽しみはそこにある。

腰を下ろして、最後の給水をした。次に水を得られるのは、小屋に着いたときである。

それにしても進まない。あとわずかの標高を上げればいいだけなのに、なかなか稜線に出ることができない。もどかしいが、体が重く遅々として進まない。

早朝からの青空に次第に雲が増えて、周囲の山々が見えなくなってきた。ここにも、あっというまにガスが上がってきて、ようやく稜線に出たときには雨まで降り始めていた。

先は長い。まだ、予定の3分の2まで来たところだ。ここから稜線を登り、山頂を越えて小屋まで行かねばならない。すでに時刻は午後3時だ。本来ならそろそろ到着しているはずである。

このままいけば、小屋に着くのは早くても夕方、疲れ切った今のペースでは夜になってしまいそうだ。

速くは歩けないが、長く歩くことはできる。暗くなっても歩き続ければ、小屋までたどり着くだろう。だが、どうしても小屋まで行かねばならないわけでもない。どこかでビバークして、明日になってから山頂を超える手も考える。明日の天気は良いはずだ。

しかし、稜線は細く、人ひとり分の踏跡が付いているだけだ。右も左も、樹木が密生しているか、ガレた急斜面である。テントを張る場所なんてどこにもない。

雨に打たれて心が冷える。心が冷えると体が動かない。予想した時刻よりもどんどん遅れていく。

山頂はまだ遠いはずだが、ガスに包まれているのでなにも見えない。

どれくらい歩いただろうか、ようやくなんとかテントが張れそうなスペースを見つけた。風も多少は避けられそうだ。

ここにするか。この後、ビバークできそうな場所があるかどうかわからない。

テントを設営してみると、思ったよりギリギリで、けっこう斜めだった。ひと晩を過ごすだけだ。贅沢は言わない。

時計を見ると17時30分であった。

雨はしとしと降り続いている。