2018年10月の御嶽山

あれから四年、ようやくこの日が来た。

この四年の間にも徐々に規制は解除され、少しづつ登れるようになってきたが、火口周辺の規制は最後まで残っていた。それがこの秋、二週間だけ規制解除され、剣ヶ峰へ登れることになったのだ。

規制解除期間の最終日は絶好の秋晴れとなった。多くの登山者が山頂を目指して登っていく。夜明け前に出発したにもかかわらず登山道は渋滞気味である。

八合目で森林限界を超えた。目の前には雲の海が広がっている。素晴らしすぎる朝だ。

ここからは、火山特有の荒涼とした景色の中を登っていく。

標高が上がると息が切れる。前の人に続いて、ゆっくりと登る。

2014年9月27日、ぼくは尾瀬にいた。尾瀬では携帯の電波が入らないので、なにも知らずにテントで寝ていた。翌日、燧ヶ岳の山頂で、「御嶽山もあんなことになっては、しばらく登れないだろうな」という会話が聞こえた。それを聞いてぼくは、この人たちは、なに意味不明なこと言ってるんだろと思った。

噴火のニュースを知ったのは下山後だった。その被害は想像以上に大きかった。

あの日、ほんとは御嶽山に登る予定だった。いっしょに行こうと誘われたので尾瀬に変更したが、そうでなければひとりで御嶽山に登っていたはずだ。人生に「もし」はないけれど、もしあの日、御嶽山に登っていたら、いったいどんなことが待ち受けていたのだろう。

九合目を超えると、ようやく火口が見下ろせる。

火口には火山灰が堆積し、噴石が散乱していた。二ノ池は火山灰で埋もれている。

この景色を前にして、荒々しいとか、恐ろしいとか、そんな気持ちは不思議と浮かんでこなかった。様々に複雑な思いはもちろんある。しかし、そんな人間の小さな気持ちなどおかまいなしに、風景はそこに存在していた。それはただただ美しかった。そこには圧倒的な自然の美しさがあった。目の前の風景に心を奪われ、いつまでもそこに立ちすくんでいた。

後から登ってきた人たちも、次々と剣ヶ峰へ向かっていく。さあ、ぼくも行こう。

分岐から山頂までは30分もかからない。登山者の流れに乗って山頂へ向かう。最後はコンクリートの階段を登り、剣ヶ峰に到着した。

ここまでの登山道はしっかり整備されていた。しかし周囲には、潰れた山荘や首のない像など、噴火の痕跡がそこここに見受けられる。

剣ヶ峰から先はいまだ通行止めで、お鉢巡りはできない。灰で埋もれた通行止め区間を見ると、開通はまだまだ先だなと思うと同時に、ここまでを歩けるようにした関係者の方々の努力に頭が下がる。

御嶽山に登るのは二回目だ。ほとんど覚えてないが、幼い頃に祖母と母に連れられて登っているはずだ。天気が悪くガスに包まれていて、なにも見えなかったことだけが記憶にある。

あのガスの向こうには、こんな風景が広がっていたんだな。いや、あの時の風景は今とは異なるのだろうが、これがぼくにとっての御嶽山になるのだ。

剣ヶ峰を後にして、ニノ池まで降りた。

火山灰で完全に埋まっていたニノ池にも、部分的に水面が現れている。水の流れが少しづつ少しづつ灰を流していくのだろう。元の姿に戻るには、いったいどれくらいの年月が必要なのだろうか。いや、それも山の時間にしてみれば、ほんのわずかのできごとなのかもしれない。

ニノ池からは賽の河原を横断して、摩利支天山へ登った。

噴火後、最初に摩利支天山までの規制が解除されたとき、さっそく登りに行こうとして友人を誘ったが断られてしまった。まだ生々しいというのがその理由だった。人にはそれぞれ思いがある。それはそれで尊重するし、否定するつもりもない。だけど自分の行動は、テレビのニュースやネットの情報に左右されたくない。他人の評判にもだ。誘ったのは、一人より二人の方が落とすお金も倍になると考えてだが、決定的に感覚の異なる人に、それをわかってもらう努力は無駄なのでしない。自分のことをするだけだ。

摩利支天山から御嶽山を眺める。うん、ここから見ると穏やかだな。

ニノ池までもどり、昼ごはんを食べて、中の湯へと下山した。

帰りはロープウェイ組もいっしょになったため、行き以上の混雑だった。切れ目なく渋滞が続いている。

渋滞にイラついてるベテラン風の登山者もいたが、かなり見苦しかった。だいたい、山が混んでると文句を言うのは愚かしい。山が賑わう姿を見るのは嬉しいものだ。特にここではそうだろう。

前の人に続いてゆっくり順番に降りていく。ロープウェイ駅との分岐を過ぎると、歩く人も少なくなった。そこからはササッと下って駐車場にもどった。

いま御嶽山に登ることには、少なからぬ批判もあるとは思う。まだ登りたくないという気持ちもわかる。それでも登って良かったと心から思えた。登ってみなければ感じられないことがたくさんたくさんあった。

そして、こんなにたくさんの人が登っていたのが嬉しかった。様々な立場や考え方があるのは理解しているけど、あらゆる悲しみも含めて、そろそろみんなが日常を取り戻したらいいなと思うから。

風景はいつでも荒々しくかつ美しく、風は優しく吹いていた。