阿弥陀へ、再び

八ヶ岳には毎年何回かは訪れ、だいたいのとこには登っている。が、しかし、いまだ阿弥陀岳の山頂には立っていない。厳冬期に目指して天候悪化で引き返したことはあるが、それ以外には明確に目的地としたことがない。縦走路から外れているのでわざわざ行かないと登れないし、赤岳に登ると阿弥陀はまあいいかって気分になるのが、なかなか行けない理由だろう。

今回は、このいつも眺めるだけだった阿弥陀岳へ登る。他の山のついでではなく、第一番の目的地にした。

夕方に到着した行者小屋はいつも以上にテントでいっぱいだった。八ヶ岳シーズン真っ盛り、しかも明日の天気予報は良いとなれば、登る人も多くなる。

テント場の端の斜めで狭いスペースにひとり用のテントを張り、明日に備えて体を休めた。

翌朝はまだ暗いうちから登り始めた。まだだれも阿弥陀へは向かっていない。一番乗りして、山頂で夜明けを迎えるのだ。

山頂直下の岩がちな急斜面を軽やかに上り、そして迎えた日の出の時刻。

辺りは真っ白なガスに包まれていた。

まあ、イヤな予感はしていた。登るにつれて、細かな水の粒子がヘッドライトの光に照らされるようになった。明るくなってくると、体の周りに白い靄が漂っているようだった。それでも天気予報と己の努力を信じて登ってきたのだが…。

「なんにも見えませんね…」

続いて登ってきた青年が、肩を落として呟いた。無理もない。今日の天気予報では期待値が高かったはずだ。

しばらく粘ってみたが、事態はいっこうに改善しない。山頂はガスの白いドームに覆われていて、山並みどころか少し先の稜線も見えない。視界はせいぜい50mだ。

諦めて、見えない稜線を歩きだした。いちおう中岳にも登ってから下山するつもりだ。赤岳まで行ってもいいのだが、この天気ではわざわざ登る気にもなれない。

だんだんとガスは薄れてきたが、それでも白いには変わりない。それほど遠くまで見渡せるわけではない。

黙々と中岳を超え、黙々と歩いて文三郎尾根の分岐まで来た。赤岳が見えてたら登る、見えなければ下山と決めてここまで来た。その赤岳は当然のようにガスの中。まあ、予想通りだ。

下山の途中で見上げると、赤岳の頂がちらちら見えた。イヤな予感がした。マジかよと思った。ウソだろとも思った。行者小屋に着く頃にはかなり天気も回復していた。やっぱりこう来たか。これもまた予想通りだ。

朝食をすませ、撤収準備を始めた頃には、雲ひとつない青空が広がっていた。いまなら赤岳でも阿弥陀岳でも、どこにいても素晴らしい眺めだろう。

降りると晴れるというのは、ありがちな話だ。それにしてもいい天気で、恨めしげに空を睨む。もう一回登るか? いや、そんな気力はない。それに登ると再びガスの中というのも、あまりにもよくある話だ。

相性の悪い山ってのはあるもので、残念ながら阿弥陀岳はそのひとつになってしまいそうだ。

恨めしげな目付きで空を睨む。いつまでも睨む。撤収作業の手を止めて睨む。

晴れ渡る緑の山々から白い雲が上がってきた。いまはまだ水蒸気の細い筋に過ぎないが、やがては灰色の大きな固まりになり、青い空を埋めつくすだろう。そうだ、そうに違いない。

湧き出す雲を確認して、安心して下山することにした。

 

八ヶ岳

Posted by azuwasa