想いの詰まった南アルプスの稜線 – 白峰南嶺

午前3時。

夜が明けるまで、まだ2時間近くあるが、もぞもぞと起き出してテントから顔を出し、西の空に目をやる。

黒々とした山脈と、その上に広がる少しだけ色の薄くなった黒い空。その境目に、稜線はくっきりと山の形を縁取っている。

よっしゃー!きたー!

どうやら快晴の朝を迎えられるようだ。

ゆっくりと起き上がってコーヒーを淹れ、朝食をとり、撤営しながら空が明るくなるのを待つ。

天気予報はあまり良くなかった。前日に山頂まで登ったときは、ガスで周りはなにも見えなかった。
しかし、翌朝は晴れ間が広がることを期待してここまで登り、山頂で一夜を明かしたのだ。

ずっと歩きたいと思っていた笹山から広河内岳までの稜線を、透き通った青空の下で歩けるようだ。

数年前に白峰三山を縦走し、大門沢下降点からさらに先を望んで、歩いてみたいと思ったあの稜線を、ようやく歩くことができる。
あの時も、予備日の一日を使えば歩くことはできたのだが、まだ自分の中の準備が整ってないような気がして踏み出すことができなかったあの稜線に。

時は熟した。

薄暗かった東の空が紅く色づき、やがてオレンジ色へと変化していく。富士の頂が雲海に浮かんでいる。日の光が尾根に当たり、山肌を真紅に染めていく。頂で繰り広げられる宇宙のショーを全身で体感した。

朝が来た。出発だ。

いったん下り樹林帯を抜けると、そこから先は広々として静かな美しい稜線が続いていた。

左手には塩見岳から蝙蝠岳へと伸びる尾根。その先の秀麗な悪沢岳。

右手には富士山。進む先には堂々とした農鳥岳。さらには北岳の尖った頂も見える。鳳凰三山の稜線もくっきりとして、オベリスクもはっきり視認できる。

想いの詰まった南アルプスの山々に囲まれて歩く。なんという贅沢な稜線なんだろう。

広々とした稜線はルートを見失いやすい。踏み跡は薄く、ゴロ岩地帯では小さく積まれたケルンだけが頼りだ。うっかりしてると稜線を外れ、枝尾根や沢に入り込みそうになる。進む先が見えてるから修正できるが、濃霧に巻かれたら危険度が増す。

1時間ほど歩いて白河内岳に到着した。広々とした気持ちのいい山頂である。

左手にはずっと塩見岳が見えている。ずっと塩見岳に見守られて歩く。塩見がずっと見えている。それだけで泣ける。

ルート上に山小屋はない。水場も稜線付近にはない。ここを歩くには、必要な水と食料、それにテント装備を全て担ぎ上げなくてはならない。歩く人を選ぶ稜線だ。だからこそ、静かに山に浸ることができる。

広河内岳への最後の登りに取り掛かった。前日からの疲れがピークで足取りは重い。圧倒的な風景に後押しされて登る。

そうしてようやく最後の山頂に到着した。

仙塩尾根から蝙蝠尾根、その中心の塩見岳。正面の農鳥岳も立派な山だ。周囲の風景に心を捉えられて目を離すことができない。

いつのまにかずいぶん時間が過ぎていた。いつまでもこうしていたいが、そうもいかない。そろそろガスも上がってきた。下山はかなりの長丁場である。

名残惜しい気持ちを残して山頂をあとにした。

大門沢下降点まで行けば、そこから先は賑やかな山が待っている。そこまであと少し、一歩一歩噛み締めて歩こう。