愛と悲しみの甲斐駒ヶ岳

「えー、わたしに登れるかな〜?」

先週の会津駒で積年の恨みを晴らしたK女史の、新K女史としての最初の山は甲斐駒ヶ岳と決まりました。駒ヶ岳つながり…というわけではなく、天気予報の都合でです。

「甲斐駒なんて登れると思えない…」と女史は言いますが、まあ北沢峠からですし、早朝から登って下山後に一泊の予定ですから最終バスの時間を気にしなくていいですし、まあ余裕でしょう。たぶん。

臨時便大増発の何番目かのバスに乗り、早朝6時過ぎに北沢峠へ到着しました。

テント場にテントを張ったら、まずは仙水峠を目指します。
ゴロ岩地帯に慣れないK女史は、ゆっくりゆっくり歩いています。

仙水峠に到着し、さらに続いて駒津峰への急登にとりかかります。

樹林帯の急登の途中の狭い登山道の脇という中途半端な地点に、妙齢のお姉さまが足を投げ出して座っていました。周りを囲んだお仲間たちが、足を伸ばしたりさすったりしています。

こ、これはもしかして…。

振り返るとK女史と目が合いました。
K女史はとても嬉しそうな顔をしています。

「ねえ、これってあれだよね♬ 足つってるよね♬」

満面の笑みでおっしゃいます。

「おクスリあげよう♬」

そう言って、処方してもらった漢方薬を差し出しました。わたくしもいちおう持ってる市販品を差し上げます。

こっちは処方してもらったやつで、こっちは普通に薬局で売ってるやつで、どっちも成分はたいして変わりませんけど…何袋飲んでも大丈夫ですし…と、ちょうど一年前に聞かされたうんちくを語ります。
お姉さまとお仲間は、「こんなクスリがあるんだ〜」「包み紙を捨てずにとっておきなさいよ〜」などと、一年前のわれわれと全く同じことを言っています。

そうして、水分を〜とか、塩分を〜とか、これまた一年前に聞かされたいろいろを語って、その場を後にしました。

「あ〜〜!!これでようやく会津駒が終わった気がする〜!!」

一年が経ち、助けられる側から助ける側になり、K女史も満足げです。

山はソロに限ると言う人もいます。同行者に迷惑をかけるのも、かけられるのもイヤだとも言います。
確かに、ひとりの山は深くて美しい。でも、だれかと登る山もまた、熱く楽しいものです。

ソロで登った山と、誰かと登った山は、同じ山でも驚くほど違った山になります。どちらも同じく山なのだから、どうせならその両方を味わい尽くしてみたい。ひとつの山に登るのに、どちらか片方だけってのは、自ら経験の幅を狭めてしまっています。

人間も自然の一部なのだから、その人間の行為もまた自然の一部です。同行者がバテて遅れるのも、足をつって動けなくなるのも、悪天候や落石も、すべてひっくるめて山行なのです。それらは、等しく自然現象であり、山の一部であり、旅の一部でもあり、コントロールし、対処しなければならないものなのです。

足つりお姉さんのお仲間も、だれひとりイヤな顔もせず、心配し、そしてどこか楽しげでした。みなさま、よくわかっているのだと思います。

「先ほどは、ありがとうございました〜」

登りを再開してほんの10分足らずで、足つりお姉さんに軽やかに追い抜かれました。

「えっ、もう治ったんですか!?」

K女史は驚いています。まあ、あのクスリを飲めば普通はすぐに痙攣がおさまりますから、K女史のように何袋も飲んでも一時間以上ものたうちまわる人のほうが珍しいでしょう。

追い抜かされたK女史は、唇を噛んでわたくしを睨み、拳を握ってわなわなと震えています。山ではのんびり屋のK女史も、10分足らず前に足をつって唸ってた女性にぶち抜かれるのはさすがに屈辱だったようです。まあしかたないですね。自分のペースで行きましょう。

足つりお姉さんもまだ本調子ではないようで、ところどころで小休止しており、われわれと抜きつ抜かれつの低レベルなデッドヒートを繰り広げながら進んでいきます。

駒津峰から山頂へは直登コースを選択しました。岩場のあまり得意ではないK女史は、泣きが入りつつもよっこらしょという感じでよじ登っています。

「あっ、足が…」

えっ、ヤバいですか…?

足つりお姉さんとのデッドヒートにムキになりペースが上がってしまったのか、慣れない岩場の上下運動で日ごろは使わない筋肉を酷使したせいか、K女史の足がまたつりそうな気配を示しているようです。

慌てて狭い登山道の端に座って休憩します。つりそうな気配がしたら、無理をせずにすぐに休むというのも、この一年で修得した対処法のひとつであります。

そんなわれわれを足つりお姉さん一味が追い抜いていきます。しかし少し先で止まり、お姉さんは座って足をさすっています。それをまた、われわれが追い抜いていきます。

この日は夏の初めの晴天の一日で、岩場が渋滞するほどたくさんの人が入山しており、そんなみなさまが低レベルのデッドヒートを繰り広げるわれわれの横を次々に通り過ぎていきます。いったい何百人のひとに追い抜かされたのでしょうか。山でこんなに多くの人に抜かされたのは人生初です。まあ、これはこれ。なにごとも経験であります。

「え〜、こんなの登れない〜〜」

背上よりも高い岩場を前にして、K女史は尻込みしております。

まあ、泣き言を言っても登らなければ先へ進めません。もうここまで来ちゃったら、引き返すのも等しく困難です。わたくしは無言でさっさと岩場を登り、上から見下ろしてK女史を待ちます。K女史も観念したのか、岩場に張り付いてなんとか体を持ち上げようともがいています。

「がんばれ〜!がんばれ〜!」

すぐ後ろに付けている足つりお姉さんから声がかかります。

最後は岩場の上からわたくしが引っ張り上げて、なんとか突破しました。

「がんばれって言われちゃった………」

K女史は唇を噛んで悔しそうです。マイペースの山歩きを続けるK女史ですが、足つりお姉さんには、めらめらとライバル心を燃やしているようです。

そうして、時には半泣きになり、時には渋滞の起点になりながら直登コースの岩場地帯を登り切り、最後のザレた急登をゆっくり上がると甲斐駒ヶ岳の山頂に出ました。

「来れた〜。来れるとは思ってなかったから嬉しい〜」

自分に甲斐駒ヶ岳が登れるとは思ってなかったというK女史も、山頂まで来れて嬉しそうです。北沢峠からなら余裕でしょと言っていたわたくしも、途中ではどうなることかと心配しましたが、なんとか登頂できてホッとしました。

ほどなくして足つりお姉さんも到着。途中で引き返すかもとおっしゃってましたが、山頂までがんばったようです。

山頂標柱の前でみんなで記念撮影。K女史にも足つりお姉さんにも、そしてわたくしにも、思い出深い甲斐駒ヶ岳となりました。

下山は巻道コースにしました。こちらはザレてますが、大きな岩場もなく下山向きです。宇宙的な風景の中を、ゆっくりと下っていきます。

途中の分岐で尋ねると、珍しく「行く」というので、摩利支天にも立ち寄りました。

六方石に出る手前のこのコース唯一の岩場では、また「こんなの登れない〜」と泣きが入っていましたが、それじゃあ山頂まで登り返して、来た道で下山しますか?と冷たく言い放つと、K女史はしぶしぶ岩に取り付いていました。

駒津峰にもどってきたのが、午後4時少し前。そろそろ帰りの最終バスの時間です。北沢峠からなら日帰りでも余裕だろうと思ってましたが、翌日も暇なのでいちおうテント泊で来て正解でした。日帰りにしてたら、相当あせったことでしょう。

ここから北沢峠まで、まだあと2時間の下りが残っています。

「え〜、まだけっこうあるね…」

K女史はうんざり顔です。

がんばってください。がんばらないと帰れませんし、夕飯も食べられませんからね。

そうして、よろよろになって北沢峠までもどってきたのは午後6時でした。テント設営の時間もあったとはいえ、実に往復12時間の甲斐駒ヶ岳ピストンとなりました。

振り返ったり立ち止まったりなだめたりすかしたりを繰り返したわたくしもぐったり疲れ果てていて、黒戸尾根日帰りよりも日向八丁尾根よりも疲弊した甲斐駒ヶ岳となりました。

翌日は天気が崩れる予報なので帰るだけです。

朝のうちはまだ雨も降ってなかったので、前日は素通りした仙水小屋まで登って、小屋のご主人にコーヒーとマンゴケーキをご馳走になり、北沢峠へもどって帰りのバスに乗りました。