緊迫登山ノススメ – 奈良倉山 / 権現山 / 扇山

うーん…。なんだか時間がかかってるな…。

奈良倉山から西原峠まで、登山地図のコースタイムは65分。
なのに、すでに1時間歩いているが、まだ半分を少し過ぎたあたりだ。

登山計画を立てるために地図を見たときから、この長い距離を1時間で歩けるのか?と疑問だったが、どうやら歩けないようである。

佐野峠では地図にない分岐があり、導標はそちらへ進むようになっていた。しかし、それは、そのまま進むと松姫鉱泉へ下山してしまう作業道だった。
西原峠へ行くには、作業道の途中で鹿除けフェンスの内側に入らなければならない。

ヒモでがっちり縛られて開閉が超面倒な鹿除けフェンスの内側に入り、同様に超面倒なフェンスをさらに2回越えると、また元の林道にもどってきた。意味ねぇ…。

やれやれ。時間がないときに限ってこれだぜ。

鶴峠から奈良倉山に登り、権現山、扇山と縦走して下山する。登ったことのない権現山に登るついでに、奈良倉山と扇山の間もつないでおこうという計画だ。
それほど長い距離ではないので、いつもだったら余裕の行程である。

しかし、鶴峠までバスで移動すると到着が9時過ぎになり、少々遅いスタートになってしまう。鶴峠に駐車スペースはないし、仮にどこかに車を置いても、扇山から下山後に鶴峠までの舗装路を登るのは絶望的にダルい。なにせバスで1時間の距離なのだから。

いろいろなパターンを考えたが、結局は鶴峠までバスで行き、その後はペースを上げて扇山まで歩くことにした…のだが、全力で歩いているはずなのにコースタイムをオーバーしている…。
登山地図のコースタイムにハメられたようだ。

奈良倉山への登りで稼いだ時間をすっかり吐き出して、西原峠に到着した。
まだまだ先は長い。なにせこれからいくつものピークを越えて、あの山並みの向こう側まで行くのだから。

西原峠からは尾根に乗り、ずっと尾根通しで進む。
実線ルートとは思えない不明瞭な道であった。踏み跡を辿っていると、しばしば尾根を外してしまう。

そのまま踏み跡を進むと、やがてピークを巻いて尾根道と合流する…ということは経験上ほとんどない。だいたいは、そのまま下山してしまうか、別の尾根に乗ってしまうか、途中で踏み跡が消滅するかだ。

こういう時は、頭上の尾根を目指して、斜面を強引に登り切るのが一番である。

道は荒れていてペースが上がらない。
これは、明るいうちに下山できないかもしれないな…。
急がなきゃ。でも確実に。
迷ってロスする時間はない。しかし、のんびりもしてられない。

追い詰められた緊張感の中で歩く。

これだよこれこれ、このシビれる感じがたまらない。
誰もいない。ひとりっきりで、全ての判断を自分で下し、実行しなければならないこの充実感。

追い詰められたといっても、それは見せかけだけのこと。
山をやっていれば、いつかは本当に追い詰められた状況に陥るかもしれないが、いまはそんなに深刻なわけではない。
どんなに遅れても、明るいうちに扇山までは行ける。そこまで行ってしまえば、あとは目を瞑って逆立ちしても下山できる。

登山地図に記載の山の位置が全くデタラメで戸惑ったり、これは実線ルートじゃなくて破線ルートにしとけよって文句を呟いてみたり、あいかわらず適当なコースタイムに腹を立てたりと、手間取りつつも着実に進み、ようやくにして権現山へ続く縦走路へ出た。

分岐には導標があり、左へ行くと権現山、右へ行くと鋸尾根、ここまで歩いてきた方向へは…導標がなかった…。
これはやはりバリエーションルート扱いなのだろうか…。

奈良倉山からここまでで、ひとりしか出会わなかった。
ひとりだけ、林道に座り込んでおにぎり食べてた単独のおじさんだけだった。

人の来ないルートを歩く単独のおじさんは100%ヘンタイである。
一体この人は、どこから来てどこへ行くのか? この時間にここにいるとは、どこから入ったのか? なぜこんな景色も見えない林道に座り込んでおにぎり食べてるのか?そのおにぎり、自分でにぎったのか?

興味は尽きないが、相手はヘンタイだし、こちらは急いでいる。
軽く挨拶しただけで通り過ぎた。

まあ、あちら様としても、両手をひらひらさせて歌を歌いながら現れた単独のおじさんに、いきなり話しかけられても戸惑うだろう。

その後も長い長い林道を歩き続け、いいかげん空腹にも耐えられなくなってきたので、景色の見えない林道の端に座り込んで、持参した弁当を食べた。

鋸尾根から権現山へ続く道と合流して少し進むと三ツ森北峰に着いた。晴れていれば富士山も見えるのだろうが、あいにくの曇天である。

この山頂には、なぜか立ち木に鏡が掛けられている。それも、普通の家には不釣り合いな、まるでお城にでもあるかのようなゴージャスな鏡だ。

だれが? 一体なんのために? ここで身だしなみを整えるのか? そもそも、なぜこんな鏡を持ってる? 全く世の中にはいろんな人がいるものだ。

三ツ森北峰から先も、歩きやすい道ではなかった。アップダウンは多いし、傾斜は急だし、けっこう荒れている。しかし、先ほどまでに比べれば、ずいぶんマシになった。

天気予報は晴れだったのに、朝からずっと曇り空。ガスが出てきて、あたりに立ち込めている。分厚い灰色の雲は、いまにも雨を降らせそう。
ここで降られたら泣くな。雨だけはかんべんしてほしい。

だんだん歩きやすく穏やかな道になってきたなと思っていたら、権現山の山頂に到着した。サクッと登れる低山のつもりで来たが、予想以上に手こずってしまった。
まあ、今回はこれでいい。花の百名山にも選ばれているこの山に、次回は暖かい季節に短いルートでのんびり来よう。

権現山から浅川峠まで急な斜面をよろよろ下り、そこから急な斜面を必死に登って、扇山までやってきた。
なんとか明るいうちにここまで来れた。あとは下るだけだ。

扇山からの下山ルートはいくつもある。
歩いたことがあるのは犬目への道だが、ここは道が細く木が生い茂っていたので、暗くなるのが早そうだ。それに距離もかなり長くなる。
そこで、最も早く舗装路に出られる梨ノ木平へ下ることにした。山頂まで最短距離の登山口ということは、ここを利用する登山者は多く、道はよく整備されていて、薄暗い中で歩くには適当だろう。

広くてなだらかで歩きやすい高速道路のような登山道を一気に下ると、あっという間に舗装路へ出た。
なんとかヘッドライトを使わなくてもすむギリギリで降りてくることができた。

ここから駅まで、まだ1時間ほどかかる。
すぐに真っ暗になってしまい、街灯もないので、ヘッドライトを点けて、うねうねと曲がりくねった細い道を下っていく。

シビれる緊張感の中で歩き切るのは、充実感でいっぱいになる。
のんびり山行も悪くないが、そればかりだと心が鈍る。たまにはヒリヒリしておくのもいい。

本物の危機的状況に陥ったとき、最も大切なのは冷静さである。
日頃から、コントロールされた緊張感の元で歩いておくのは、いざとなって慌てない精神力を養うにもよいだろう。

集落まで下り、幹線道路に出るとコンビニがあった。今日は電車だ。
ビールと揚げた鶏肉を買い、駐車場に座り込んで、ひとり祝杯を挙げた。