賑わいを失った街に光を – 福井県 今庄

京の都から西近江路で琵琶湖の西岸を北上し、敦賀を経由して越前へ至る北陸道と、中山道から分岐した後、琵琶湖の東岸を北上して越前へと向かう北国街道は、この今庄宿で合流した。

北陸道では木ノ芽峠を、北国街道では栃ノ木峠を越えると今庄だ。越前や加賀へ向かうには湯尾峠を越えなければならない。三方向すべてが峠越えのため、今庄を訪れたすべての旅人は、峠越えをし終えて尚且つ峠越えを控えていることになる。

そんな地理的要因により、今庄宿は江戸時代に大いに栄えた。55軒の旅籠があり人口は約1300人、越前国でもっとも大きな宿場町だったという。

現在の今庄には、江戸時代から操業を続ける四軒の造り酒屋がある。造り酒屋の多さが、かつての繁栄を物語っている。

切妻平入りで卯建の上がる二階建ての町屋が街道沿いに軒を連ねる。ぶらぶら歩いていると、一軒の民家の前に腰を下ろしていた老人が立ち上がり近づいてきた。

「あそこが、明治天皇が立ち止まった場所だ」

うむ、石碑にそう記してある。

「ここは加賀の殿様が泊まった」

うむ、本陣なんだからそうだろう。

どうやら観光案内しているつもりのようだが、ほとんど案内になっていない。おらが町自慢だ。

「どうです? 今庄は寂しいところでしょう」

こうなると、もう自慢なのか自虐なのかよくわからない。

数軒先の民家の前には同じように老婆が座っていて、観光客を見かけると捕まえて話しかけている。この時は二人組の若い女性が捕まっていた。

「これが京へ行く道じゃ」

「北国街道ですよね」

「よく、知っとるのお」

いやいや、わざわざここに来るような観光客は、いくらなんでもそれくらいは知ってるだろう。

私につきまとっている老人とこの老婆はどうやらライバル関係のようで、どちらが数多く観光客に話しかけるかでも競い合っているのだろう。まったく暇な老人たちだ…。

今庄が重要伝統的建造物群保存地区に指定されたのは2021年、つい最近のことである。モータリゼーションにより交通の要衝としての地位を失った今庄に、久しぶりにスポットライトが当たったのだ。全国的にはなんらニュースにもならなかったが、住民にとっては地元が再び脚光を浴びた瞬間である。

この地で産まれ育ち、あるいは嫁いできて以来ずっと、衰退していく我が町とともにあった人々にとっては、青天の霹靂ともいえる大事件だった。それまでは訪れる人などほとんどいなかった街に、観光客がちらほら現れるようになったのだ。嬉しくて浮かれるのも致し方あるまい。

そう思うと、たどたどしい町案内にもならない案内も、なんだか微笑ましくなってくるのだった。

2025年10月