岩木山 in the Typhoon

夏休みは東北へ行った。台風の進路変更で天気予報が大きく変わり東北地方は台風直撃をくらいそうだったが、それでも予定を変更しなかったのは他に行き先を思いつかなかったからだ。昨年は飯豊で、一昨年は白馬で台風にぶち当たるもまあなんとかなったので、今回もなんとかなるだろう。

台風が直撃しそうな太平洋側は避けて、なるべく影響の遠そうな岩木山へ向かった。

夜明け前の岩木山神社から出発した。遅い時間ほど台風が接近して影響が強くなるから、なるべく早く登ってなるべく早く降りてくる。いちおう少しは考えているのだ。

駐車場には他に車はなく、登山者はだれもいなかった。まあそうだよね、台風直撃の日に登山なんてしないよね。

百沢コースは途中から沢を登る。これがなかなかエグくて、沢沿いの道ではなく、ほぼ沢登りだ。岩場をよじ登ったり、へつったりする箇所もある。今はまだ水量が少ないので登れるが、雨が降って増水したら危険極まりない。雨が降り始めるのは遅い時間からなので大丈夫だとは思うが、それでもやはり早いとこ下山するに越したことはない。

沢を詰めていくと焼止まりヒュッテ、さらに登ると鳳鳴ヒュッテという二つのヒュッテがある。ヒュッテといっても北アルプスのような立派なものではない。営業小屋ではなく、単なる避難小屋だ。しかし今日のような天気の日には実にありがたい存在である。

鳳鳴ヒュッテで身支度を整え、いよいよ山頂までの最後の上りだ。

森林限界を超えて吹きさらしになった。激しい風はさらに激しさを増している。岩木山は独立峰なので、強風が直撃して渦を巻く。風に煽られて体がよれる。雲の中を登っているので、風は水蒸気を含んで湿っている。じわじわと体力を削られる。

こんな日に登山して楽しいのか?と言う人もいるかもしれない。だが、これはこれで楽しい。晴れた日にしか登りたくないという気持ちもわからなくはないが、それだけでは登山の楽しみを味わいつくせないのではないかとも思う。

景色を見るだけが登山の楽しみだとは思わない。激しい天候で苦労して登るのもまた、登山の楽しみのひとつである。藪山に登ったり、困難なルートを選択したりするのと同種の楽しみがそこにはあるはずだ。それに荒天の山を登るのは登山力のアップにもなる。山の天気は変わりやすい。晴れていた山が急変するなんてよくあることだ。そんな時の対応力は、日頃から備えていなければ身につけるのは難しいだろう。

仕事をしていると、休日が絶対的な快晴の日に当たるのは年にそう何回もあるわけではない。だいたいは晴れなのか曇りなのかそれとも雨なのかはっきりしない天気予報の日が多いことだろう。行くか行かないか迷ったとしても、どんな天気予報でも登山口までは行く方針にしている。そうすれば天気予報に一喜一憂したり、行くかどうか優柔不断に悩んだり、中止にしたのに天気良くて残念な思いをしたりすることが無くなる。登るか登らないかは登山口で決めればいいことだ。

登らないかもしれないのに登山口まで行くのは無駄ではない。よく「家に帰るまでが登山だ」と言う人がいるが、だとしたら家から出たところから登山は始まっていることになる。登山口までドライブして、観光したり温泉に入ったり食事をしたりして帰ってくるのも登山なのだ。そしてそれは十分に楽しい。少なくとも家でうだうだしてるよりはるかにマシだろう。

山頂では猛烈な風が狂ったように吹き荒れていた。灰色の風景が灰色の空と混じり合って、カメラのピントが合わない。

岩木山神社の奥宮は、山頂の端に麓に向かって建っている。参拝しようと正面に回り込むと、吹き荒ぶ暴風に無防備に身体を晒すことになる。これはさすがに少々怖かった。吹き飛ばされて落ちていきそうだった。早々に参拝をすませて、風を避けられる場所へ避難した。

長居をする天候ではないが、それでもせっかく遠路はるばる来たのだからと、山頂のあちこちを探索してから下山した。

ここまで誰にも会わなかったのに、山頂から下る時には登山者が続々と登ってきて驚いた。八合目まで車で登れる有料道路を使って来たそうで、朝8時の有料道路の開門時間に合わせて来るとだいたいこれくらいの時間になるようだ。八合目の駐車場からだと、ここまで1時間ほどで登ってこれるらしい。

それにしても、よくこんな日に登るよなあ。いや、まあ、人のことは言えないのだけど、こちらはわかってやってるからいいのだが、そうではなくどう見ても山に不慣れな登山者も多かった。なにせ、道がよくわからないから後ろを歩かせてくださいと声をかけてきたソロの女の子がいたくらいだ。

焼止まりヒュッテまでもどってくると樹林帯に入るので風も収まる。あとは百沢さえ下ってしまえば危険箇所も無くなる。雨がポツリポツリと落ちてきたが、これくらいなら問題ないだろう。

急な沢の荒れた岩場を下っていくと、驚くことに続々と登山者が登ってきていた。いやいやいやいや、もう正午を回ったというのに、こんな時間から山頂に向かうんですか? まあ、時間的には暗くなる前に帰ってこれるだろうけど、夕方には台風上陸ですよ? すでに沢の途中でバテて座り込んでる登山者もいて、ほんとに大丈夫なんだろうかとさすがに心配になった。

「この先もこんな感じが続くんですか?」

疲れてへたりこんでる登山者に声をかけられた。こんな感じというのは、この急峻で荒れた沢登りのことだろう。あと少しですよと気休めを言う気にはなれず、まだしばらく続きますねと正直に答えておいた。絶望的な表情をしていたあの人は、あの後どうしたのだろう。

下山すると、麓は晴れて穏やかで青空も見えていた。これだと、いっちょう岩木山にも登ってやるかって気持ちになるのもわからなくはない。しかし、振り返ると山は灰色の不穏な雲に包まれていた。あの雲の中では、いまも暴風が吹き荒れているはずだ。

2024年8月