中級藩士の町並み – 弘前市仲町

戦国時代に南部藩から独立した津軽氏は、秀吉、家康に領地を安堵されて津軽地方の領主となった。江戸時代に入ると藩庁を弘前に置き、弘前城を築く。

弘前城は南北に長い。街道の整備により追手門が南に移されるまでは、北側の亀甲門が追手門であり正面玄関であった。

亀甲門のすぐ前の一筋は町人町だ。歩道にひさしを設けたこみせのある家屋もあった。

町人町の北側には侍町が当時の地割りのまま残っている。

ほぼ同じ高さでサワラの生垣が続いている。生垣の向こうは坪庭の樹木と低層の主屋だ。建てかえられて新しい家も多いが、茅葺き屋根もいくつか見られた。型にはめたように同規格の屋敷が連続している。

静かだ。だれも歩いていない。

町並みの向こうに見えるはずの岩木山は、今日も白雲を纏っていた。

2024年8月