八王子の山中で遭難しそうになった話 – 要倉山 / 本郷山 / 本宮山

歩き始めてすぐに、想定したルートから外れていることには気づいていた。

出発地点の平坦地からすでにヤブだった。歩きやすい方向へ進んでいくと明瞭な踏跡があったので、それを辿ったのだが、想定したルートからはどんどん離れていく。左の尾根を登るはずなのに、右へ右へとトラバースしている。これは違うんじゃないかなと思ったが、それでもそのまま進んでいくと鉄塔に出た。どうやら鉄塔用の巡視路だったようだ。

地形図で現在地を確認する。

ここで、左に伸びている緩やかな尾根に乗れば、想定したルートへ向かう。この尾根は歩くのに問題なさそうだ。尾根の途中で上手いことトラバースできれば、そのまま想定ルートに復帰する。トラバースできなくても、尾根上の小ピークまで登り、そこから尾根を外れて下降すればいい。等高線が詰まっているが、なんとかなるだろう。

本来なら引き返して正しいルートを探すところだが、このまま進んでみることにした。

地形図で確認した通りの歩きやすい尾根を行く。うっすらと踏跡らしきものもある。だが、尾根上以外は植物が密生していて、とてもトラバースはできそうにない。

小ピークが近づくと、なぜだか切断した丸太で埋め尽くされていた。丸太の上を歩いて進む。そして丸太の山の上まで登ると、そこが尾根上の小ピークだった。

ここから斜面を下れば正規のルートに復帰できる。しかし、小ピークから先には人が通った形跡はまったくなく、植物が生い茂っている。ここまでの踏跡は、丸太を切断するために来た人のものなのだろう。

さて、どうしよう。引き返すか進むかの二択だが、常識的には引き返すの一択だ。しかし、目の前の激ヤブ急斜面を100m下れば正規ルートに復帰できる。ここまで歩いて来た道を引き返して、取付き点からやり直すのはめんどくさい。

少し下ってみて、ダメそうなら引き返そう。そう考えて、目の前のヤブに足を踏み入れた。

下り始めてすぐに、激しいヤブはものすごく激しいヤブになった。急な斜面はよりいっそう急になり、真っ直ぐ立ってはいられない。ヤブのおかげで植物に捕まっていれば落ちることはないが、捕まる植物が無ければ、ロープ無しでは降りられない角度だ。

少しでも緩やかな方へ自然と体が向かってしまうが、それだと想定ルートからズレてしまう。GPSで正確な方向を確認し、崖のような斜面を降りていく。

どれくらい下っただろう。10mか20mか。まだ残り80mもあるのか。ヤブは濃く、遅々として進まない。下れば下るほど、引き返す選択肢がなくなっていく。実際、この急斜面を植物につかまって体を引っ張り上げるなんてもう考えられない。下り切るしかない。

ほんとうに下れるのか、下れたとしても、そこで正規のルートが見つからなければ手詰まりになる。

いやな思考が頭に浮かぶ。まさかこんな家からさほど遠くない八王子の山の中で遭難するなんて恥ずかし過ぎる。ここで遭難しても、まず発見されないだろう。

ヤブの海に潜り、ヤブをかき分けて降りていく。剥き出しの腕は、細かい枝で傷だらけだ。完全にヤブに埋もれてるので視界は遮られている。ツル状の植物が全身にからみつき、身動きが取れなくなる。それを自重と重力で引きちぎるようにして振り払う。これはもう下っていると言うよりは、落ちているけど植物のおかげで引っかかっていると言ったほうが正しい。

いつ終わるとも知れないヤブ漕ぎで数十センチづつ下っていく。泣きが入るレベルのヤブ漕ぎだ。

どれくらいの時間が経ったであろう。植生の切れ目で視界が開けて、ヤブ漕ぎの終わりが見えた。平坦な地面が見えた。あそこまであと20m下ればいい。

最後の数メートルはいままで以上にヤブの密度が濃く、斜面は垂直に近くなった。前半でこれだったらギブアップしたかもしれないが、あと数メートルだとわかっていたので、落ちるようにして強引に突破した。

ようやく地に足が着き、下ってきたところを見上げたが、とてもではないがヤブ漕ぎするなんて気にはならない植生の濃さと急角度な斜面だった。

降りたのは沢だった。この沢を渡って反対側の尾根に取り付けば、ようやく正規ルートに復帰する。取付き点を探してしばらく沢を行ったり来たりしたが、しっかりした踏跡を見つけたので、それを登った。

そこからはもう普通の登山道だった。奥多摩のバリエーションルートではよくあるが、登山道と言っても問題ないレベルでよく踏まれている。最初に間違った尾根に取り付かず沢を遡っていれば、すんなりこの道に入れたのだろう。まったく無駄に過大な労力と時間を使ってしまった。

要倉山を通過し、本郷山に立寄り、本宮山に到着した。最初の苦労はなんだったのかというくらい順調に来た。

こんなところでも手製の山名板が掲げられている。

本宮山を過ぎると踏跡はいささか怪しくなった。傾斜はずっと緩やかだったが、別の尾根との合流部へ向けての登りは、踏跡の無い急斜面だった。

息を弾ませて斜面を登っている途中で、大量の雨粒が一気に落ちてきた。いきなりの豪雨である。

その場でザックを下ろし、急いでレインウェアを着る。そうこうしているうちに、体も装備もどんどん濡れていく。

急な斜面に張り付いてバタバタしていたら、カメラからレンズフードが外れて、コロコロと転がり落ちてしまった。しかたない、レンズフードを探して、登ってきた斜面を下る。黒いフードは、樹林帯に落とすと見つけづらい。雨の中、何度も登ったり降りたりして、ようやく回収した。

斜面を登り切り、尾根上に出ると、道は右と左に分かれていた。さて、どっちだったろうとスマホを取り出して確認しようとしたが、雨に濡れたスマホは、雨に濡れた指では反応しなかった。

やれやれ、地形図はスマホに入ってるのだけなんだよな。もっとも、この雨の中では紙の地図も役に立つかどうかわからない。

とりあえず、なんとなくこっちだったような気がすると右へ進んだが、しばらく進んでから方角が違うような気がして戻り、左へ進んだ。

舗装路が見えた時には、これでようやく終わりかとホッとした。これを行けば和田峠に出るはずだ。

雨は小降りになっていたが、陣馬山に登る気力はもう残ってなかった。

和田峠から、とぼとぼと車道を歩いて下った。

2021年6月