僕らの選択 – 巻機山

ひとりで山を歩いていると時々思う、なぜ今この山を歩いているのだろうかと。

この山を歩くか、あの山を歩くかは選ばなければならない。二つの山を同時に歩くことはできない。人生は選択の連続だ。これまでに下した無数の選択の果てに今がある。

でも、ふと考える。あの時もし別の選択をしていたら、いったい今はどうなっていただろうかと。あの時もし辞めなければ、あの時もし告白していたら、あの時もし左に曲がっていたら、あの時もし別れなければ、あの時もし…そんな局面がいくつも浮かぶ。渡らなかった橋、開けられなかったドア。選ばれなかった幸福な未来を空想するのは甘酸っぱくて心地良い。とはいえ、過去の選択を後悔しているわけでもない。別の人生を生きてみたい願望はあるが、仮にやり直すことができたとしても、きっと同じ選択をするのだろう。それが定めなのだ。自分では選んでいるつもりでも、すべてが予め決められた運命なのかもしれないとも思うのだ。

森林限界を超えたら、ガスが取れて青空が広がっていた。今日の選択は悪くない。遠くまで来た甲斐があった。

穏やかで優しい稜線だ。どこまでも見渡せる天空の道を進んでいく。うん、悪くない。

避難小屋からひと登りで御機屋という名の小広場に着いた。巻機山の山頂標柱はここにあるが、最高点はまだ少し先だ。そこまで登り、さらに先の牛ヶ岳に向かって緑の稜線を歩いていく。

牛ヶ岳の山頂からは、歩いてきた道ととそれに続く稜線がよく見渡せた。ほんと、天気の良い日でよかった。

牛ヶ岳を少し過ぎたところまで行ってから、折り返して来た道を戻ることにした。

あと少しで御機屋というところで、前から来た女性に話しかけられた。

「山頂どこ〜?」

登りの途中でいっしょになった単独の女性だった。どの山頂を尋ねてるのかわからなかったが、うねるような稜線の先の牛ヶ岳を黙って指差した。

「えー、まだあんなにあるんだ〜。あれじゃないの?」

指差す先は巻機山の最高地点だった。

違います。あんなの、ここから1分で着くじゃないですか。

「やめようかな。もう登りたくないし」

けっこうあるように見えるけど、歩いてしまえばあっという間ですよ。登りもぜんぜんキツくないですし。

「うーん、じゃあ行ってみようかな… 」

行ったらいいですよ。思ったより近いですよ。

すれ違いざまに僕に話しかけた時点で、山頂まで行くのは決まっていたようなものだ。それが彼女の選択なのだ。

御機屋で少し休憩してから、割引岳へ向かった。ここまでにして下山してもよかったのだが、天気もまだ崩れてないので登っておくほうを選んだ。

鞍部まで下り、急な斜面を登ったら割引岳の山頂だ。もしヌクビ沢を遡行するルートを選んでいたら、ダイレクトにここへ登っていたことになる。尾根道を選ばずに沢を選択していたら、どんな風景が待っていたのだろう。

名残惜しさにぐずぐずしていたが、ガスが上がってきたので下山することにした。ちょうど晴れ間が出ているあいだに森林限界を超えた稜線を歩くことができた。今日の選択は完ぺきだ。いや、今日の運命がだな。

2020年8月