中央アルプスひとり旅 稜線編 – 宝剣岳 / 檜尾岳

うーん!この稜線!宝剣岳から空木岳を望むこの稜線!

一週間前に初めて目にして、すごくすごく歩きたいと思ったこの稜線に、早速来てしまいました。

前方は見渡す限り誰も歩いていません。宝剣岳の頂きにも誰もいません。爽快かつ快適です。

宝剣一番乗りを目指すために、出発一時間前からバス停に並び、一番前の席を確保し、ロープウェイでは扉の近くに陣取って、降りたら練習通りに素早くアイゼン装着し、カールの急登を休まず直登してきたのです。

あ〜いい気分♬

朝一のロープウェイでいっしょに上がってきた他の人たちが、はるか下方でアリの行列のように連なっています。人間がまるでゴマ粒のようです。

あ〜いい気分♬

みなさん木曽駒へ向かうのでしょうが、宝剣岳へ登ってくる人もちらほらいます。追いつかれる前に山頂を後にして、魅惑の稜線へ進みます。

こちらへ登ってくる人たちも、おそらく宝剣ピストンでしょうから、ここから先もひとり旅です。

ずっと続く稜線をずっと見ながら歩けるなんて、ほんと幸せな稜線です。何度も立ち止まり、行く先を眺め、来し方を振り返り、青空を見上げ、思い出したように写真を撮り…。なかなか前へ進みません。

急ぎ足で通過するには、あまりにもったいない。

贅沢な時間をじっくりと味わいます。

三ノ沢岳への分岐あたりで数人の方が山スキーしてた以外は誰もいません。思ったとおり、後ろからも誰も来ません。みな、この稜線へ踏み出さずに、木曽駒へ向かったのでしょう。

イメージ通りの展開にニヤニヤしてしまいます。空は青く天気は最高。もうなにも言うことありません。

ゴールデンウィークの混雑を避け、それでも気持ちいい3000m級の稜線を歩けるところはと考え、選んだのがここなのです。

百名山の木曽駒は多くの人で賑わうでしょう。空木岳に登ってる人もたくさんいるに違いありません。でもその間のこの素晴らしい稜線に、自分ただひとり(山スキーヤー三人を除く)しかいないのです。

なんて贅沢な!稜線貸し切りです。

百名山のピークハント的な登山を否定する気はありません。あれはあれで面白いし、やりがいもあると思います。

でも、みんなが登る山にみんなが登る時期にみんなと同じルートで登って、人が多過ぎるとか渋滞してたとか不満気に語るのは、愚かだなとも思います。

情報は大切ですが、情報に囚われてしまえば見えないものも出てきます。誰かが決めた百名山、雑誌で見た景色、ガイドブックに載ってたルート、そんなものはどうでもいいとは言いませんが、あくまでも参考にするまで。

自分の歩く道は自分で決める。登山は想像力。

想像通りの、いや想像以上の素敵な一日になりそうで、嬉しくて笑いが込み上げてきます。気分良く大声で歌いながら歩きます。

油断してると突然前方から登山者が現れて、驚くやら恥ずかしいやらなこともあるのですが、今日はその心配もありません。ずっと見渡せる稜線のどこにも、人の姿はありません。

歌いながら歩くにしてはけっこうキツくて息が切れるピークをひとつずつ超えて、ようやく最後の登りに取りかかります。

いい感じ!いい感じ!本日の最終目的地、檜尾岳へ。

檜尾岳の頂きに立つと、目の前に大きく空木岳。右手にはちょこんと岩がのっかった熊沢岳。

かっこいいなぁ。ここもいつか、いや近いうちに歩こう。

振り返ると宝剣岳からずっと歩いてきた稜線。

いいなぁ。これを歩いてきたのか。しみじみいいなぁ。ここもまたいつか、いや近いうちにまた歩こう。

天気は上々、景色は最高。いつまでもいつまでも眺めていたい風景に取り囲まれて、なかなか山頂を離れることができません。

と、突然ひょっこり単独の青年が現われました。小一時間も山頂にいたので追いつかれたようです。

目が合いお互い軽く会釈すると、青年はそのまま言葉を交わすこともなく、それほど広くない山頂のできるだけ離れた場所に腰を下ろして、ただただ前方の景色を見つめています。空木岳を見渡せる斜面に座って、きっとこれから歩くだろう稜線を静かに見つめています。

わかるよわかる。わかるわかる。彼はおれと同類だ。

今日のこの日にわざわざ選んで、ひとりでここを歩こうと思う人間だ。言葉はいらない。会話もいらない。いまはただ、この圧倒的な風景に身をゆだねて、どっぶりと浸りたいのだ。

わかるわかる。ひとりにしてあげよう。おれはもうじゅうぶん堪能したから。

ひたすら無言で前方を見つめ続ける彼の背後で、気づかれないようそっと立ち上がり、麓に向かってゆっくり静かに歩き始めました。