天空のショー – 辻山

鳳凰三山には何度も登っているし、夜叉神峠にも南御室小屋にも立ち寄ったことはあるが、この間の区間は歩いたことがない。正確に記すと、夜叉神峠と苺平の間だ。南アルプスフロントトレイルの中で、まだ繋がっていない三区間のひとつである。ここを繋げに行くことにした。

夜叉神峠から望む白峰三山は眩しく光っていた。この冬は雪が少ないというものの、さすがに3000m級の頂は雪に覆われている。

以前に夜叉神峠に来たときは、ここから南へ向かった。池ノ茶屋までの未開通区間は困難で、ザレ場を滑り落ちてズボンの尻をズタズタに破ったのだった。

今回はここから北へ向かう。

予想した通りの登山道だ。だいたいが樹林帯で、たまにわずかな展望が開ける。

そんな同じような風景を歩き、苺平まで来た。ここへは東から、大ナジカ峠を超えて来たことがある。雪が深くてなかなか進まず、想定の三倍の時間がかかったのだった。

これで未踏区間は繋がったが、ここで終わりにするのは気持ち悪い。鳳凰三山を目指すことにしよう。テント装備を担いできているので、南御室小屋で一泊して明日登頂すればよい。

小屋はもうすぐそこなので、辻山へ寄っておくことにした。縦走路から外れているのでスルーする人が多いが、目の前に白峰三山の広がるとても良い山頂である。

新雪を踏みしめ、枝をかき分け、20分も登ると視界が開けた。

北岳、間ノ岳、農鳥岳の白峰三山が正面に。薬師岳から観音岳への稜線。八ヶ岳もスッキリ見えている。

すごい眺めだ。なんともゴージャスだ。

目の前の景色に捉えられて立ち去りがたい。まあ、小屋はすぐなので急ぐことはない。うん?なにも小屋まで行かなくてもいいじゃないのか?

そういえば以前に来たときも、今日と同じ快晴の冬の日だった。圧倒的な景色を目の前にして、ここに泊まりたいな、次はここに泊まりに来ようと思った。そのときは鳳凰三山を超えて御在石鉱泉へ下山の予定だったので通過したが、今回は夜叉神へもどるだけだ。うん、そうだ。そうしよう。樹林帯の暗いテント場より、ここのほうがずっといい。時間はたっぷりある。ここでじっくりと天空のショーを楽しむことにしよう。

空気は透明で、白い峰々は輝いている。凛とした寒さが心地良い。今日はもうだれも来ないだろう。静かだ。

太陽の位置が動くにつれて、風景はその表情を変える。

やがて西の空に陽が傾き、色彩は暖かみを帯びていく。

夕暮れは山の一日で最もドラマチックな時間だ。

空の色が刻一刻と移ろいゆく。

橙色だった西の空は日没の太陽を映して紅色に染まる。

東の空は淡い紫から濃い藍色へのグラデーション。

ゆっくりと夜が降りてくる。

あたりが闇に包まれ始めたとき、南の空に三日月が輝いていた。

翌朝、夜明け前の仄かな光が、白銀の稜線を赤く染める。

山の朝の高貴な時間。

朝のショーは一瞬だ。日が昇ると風景は輝き、すぐにいつもの見慣れた顔になる。

気温が上がり、ガスも出てきた。下山しよう。

山と宇宙との一体感をたっぷりと感じた贅沢な時を身体に刻み、いつもの日常へと向かった。