約束の山

不意打ちをくらった。

森林限界を越えると、いきなり目の前に現れた山頂へ至る稜線。この風景を目にしたとたん、一気に溢れ出した。

なぜあそこへ登るのか、なぜ登らなければいけないのか。

忘れていたわけではないけど、日々の雑事にまぎれて、いつのまにか意識の奥底へと沈んでいた想い。登らなくちゃいけない理由はいつしか薄くなり、登ったことがないけど登ってみたい山のひとつになっていた。

でも、この風景を目にした瞬間、あらゆる想いが心の奥底から吹き出してきた。

それは、あまりに突然であまりに多量だったので、言葉にすることができず、溢れる想いはキラキラ輝く光の粒に結晶して、両の瞳からこぼれ落ちた。全身が痙攣して震えが止まらない。

いかんだろ。ここでこんなじゃ。まだ先は長いんだ。しっかり歩かなきゃ。

思い直して歩き始めても、木々の間にその頂きが姿を見せるたびに、光の粒が溢れ出し、全身に電流が走る。

正直、ここに来るまでは、そこまで乗り気じゃなかった。行かなきゃいけないって気持ちはあっても、必ず行くという確信がどこかなかった。急な樹林帯を登っているあいだは、荷物の重さに心が挫けて何度も挫折しそうになった。

でももう大丈夫。必ずあそこに行く。行ける。この風景を見てしまったら引き返せない。どんなに辛くても挫けることのない強い力がいまは心の中にある。たぶん、いま、間違いなく、心のコンセントが宇宙と繋がり、魂のスイッチが入った。

あぁ、あの時のあの場所が見えている。あそこからこちらを指差し、次はあの山に登ろうと約束を交わした頂きが。いまとなっては永遠に果たされることのない、その約束を交わした場所が。

いま、あの時のあそこからあの時のここを眺め、そしてついに、あの山に登るのだ。

時間的にも天候的にも体力的にも、もうここまで来たら山頂に辿り着けるのは間違いない。

あとはただ、一歩一歩噛み締めながら登るのみ。

そしてついに、ついに来た。約束の頂きについに来た。

あの山の向こうの景色を見てみようと誓った、その景色をいま目の前にしているんだ。

こんな景色だったんだな。

次はあそこの、あの稜線を歩こうか。

目の前に広がるあの山の向こうの景色に心を捉えられて動くことができない。

振り返れば、あの日のあの場所も見える。

賑わっていた山頂も、ひとりふたりと下山していき、いつしか静かな時が流れていた。

そろそろ帰るか。また来よう。その前に、次は向こうの稜線を歩かなくちゃ。

薄茶色の小さな石をひとつ拾ってポケットにしまった。

この頂きに立つこと叶わず散ってしまった君の元へ、この小さな石を届けよう。