小川町のしょぼい山 – 仙元山

仙元山って知ってます?

埼玉県比企郡小川町にある仙元山。知りませんよね? 普通は知らないと思います。

小川町の山といえば笠山に堂平山、それと小川町内ではありませんが大霧山の比企三山、おそらく知られているのはこれくらいでしょう。この三つの山は外秩父七峰縦走大会のコースにもなっているので、登ったことあるかたもいらっしゃると思います。

初めは、これらの山のどれかに登る予定でした。それがいろいろあって、標高たった299mの仙元山に登ることになったのです。

標高299mですよ!

あれは山ではなく寺だと思っている高尾山の半分しかありません。スカイツリーの高さ634mに遠く及ばないのはもちろんのこと、天望回廊の450mどころか、天望デッキの350mにも届きません。

先週登ったのは標高230mの三毳山でした。二週連続の標高200m台です。

驚きの低さです。

なぜ、そんな山に登ることになったのかというと、それはお花見のせいでした。

下山後は小川小学校下里分校でお花見しよう。お花見というのは花を見るだけではない。お花見するなら車で行けない。車がないと歩いて下里分校まで行かなくてはならない。近くの山…これしかないか…。というわけで、この仙元山がめでたく選ばれたのでした。

同行のK女史が事前に観光案内所に問い合わせたところ、「子供でも登れる山ですから、ご満足いただけないかもしれませんが…」ということでした。

子供でも登れる山…。富士山だって日本アルプスだって、子供でも登っています。つまりこれは言葉をかえると、「しょぼい山ですよ…」という意味なのは間違いありません。

駅からてくてく歩いて、あっさり一時間で山頂に着いてしまいました。さすが標高299mです。山頂から小川町の町並みが見下ろせます。すぐ近くで、まるで手が届きそう。標高299mですからね。

そうそう、山頂の手前には百庚申という遺跡があります。何十個もの庚申塚が広場を囲むように並んでいます。こんなにたくさんあるのに、書いてある文字はどれも庚申庚申庚申庚申…。工夫がありませんね。まあ、庚申塚なんだから当然でしょうが…。

石の大きさはまちまちですが、先端の尖ったものにするという共通ルールがあるようです。よく見ると、文字の書体や彫りの深さが異なります。よーし!かっこいい庚申塚作るべ!との思いで、村の衆がそれぞれ想いを込めて掘ったのでしょうか。

仙元山だけで下山すると、お花見の時間が膨大になってしまいます。なにせ、まだ9時半です。なので、さらに先へ歩いて行くことにしました。

山頂の少し先に、町指定遺跡の青山城址があります。どんな城だったのだろう…と多少の期待を込めて訪れましたが、そこは登山道がちょっとだけ広くなってるただの空き地でした。

えっ、ここに城があったの? 言われなければここが城跡だとは絶対に思わないでしょう。せいぜい広さ2DKの城です。さすが町指定遺跡。

低山の樹林帯を歩くのは、森林限界を超えた稜線を歩くのとは、また違った楽しさがあります。

歩いているうちに自分が山に同化していくようで、どんどん自分の中に入っていきます。この日は、いろいろと考えることも多く、いま自分がどこでなにをしているのかに意識が向かないまま、どんどんと進んでいきます。集中しているとペースが上がり、気づけば同行のK女史をぶっちぎっていて、あっいけね、と立ち止まるのでした。

次のピーク大日山で、何十年も登山道の整備をしているというおじさまにお会いしました。おじさまは、こっちにシュンランが咲いてるよ、とわれわれを案内してくださります。

もし自分ひとりだけだったら、こんな親切を受けることはありえませんが、今回は内田有紀似(自称)のK女史がいっしょです。女子のみなさまはご存知ないかもしれませんが、親切にしていただけるのは、その人が親切だからではなく、あなたが女子だからなのです。まあこれは、逆の立場だったら自分がどんな行動を取るかを想像してみれば容易に納得がいくので、この件で批評批判をするつもりはございません。いえ、わたくしでしたら、たとえ内田有紀似(自称)の素敵な女性であっても、男性といっしょであれば絶対に親切にはしないでしょうから、こちらのおじさまはずいぶんな人格者とお見受けしました。

この先へ進んでいくとなになにがあって、その先にはなになにがあって、そこから下っていくとなになにがいっぱい咲いていて…と、おじさまの熱弁は続きます。もうこれは、女子がどうこうを超越して、おらが郷土の誇りを、都会から来た若者たちに伝えねばという、熱き使命感の表れのようでした。

下山して駅まで歩いていくなら、途中に下里分校という廃校があって…とおじさまはおっしゃいます。そこへ行くのがメインだから、そこは帰りに寄りますよとお伝えすると、おじさまは大きく息を吸い込んでたいそう感極まった様子で、それはぜひ行ってください、それはぜひ行ってくださいと五回も繰り返しておっしゃいました。

そして、下里分校から駅に向かう途中にはカタクリの群生地があって…と続きます。お花見したあとに暗くなって泥酔しては行けないだろなと思いつつ、そんなに見所が多いととても周りきれませんね!と申し上げると、おじさまは鼻の穴を膨らませて、たいそう満足げでした。

そういえば、K女史が電話で問い合わせた観光案内所のおばさまも、ひとつ質問するたびに大きく息を吸い込んで、そうそうそれそれとたいそう感激している様子だったとのこと。都会の観光客に郷土の誇りを案内する高貴な使命感の表れでしょうか。ただ単に、観光案内の問い合わせがほとんどないだけなのかもしれません。

物見山といいながら、樹林帯に囲まれた何も見えない物見山の山頂(しかもピーク感まったくなし)を通過し、もうひとつの仙元山に到着しました。すぐ近くに同じ名前の山があるのです。まぎらわしいですね。

ここにも大きな庚申塚があり、そこにはお賽銭が置かれていました。お賽銭の金額を数えると8円…。たった8円…。お賽銭もしょぼ…いえいえ金額ではなく気持ちですよね。

小倉峠に下り、小倉城址へ登ります。こちらは先ほどの町指定遺跡とは違って、国指定遺跡です。

土塁を築いて築城し、本丸二ノ丸三ノ丸四ノ丸と区分けされた立派な山城です。それぞれもずいぶん広く、町指定遺跡と国指定遺跡の越えられない壁を実感することとなりました。

小倉城址から地図にない道を下っていくとカタクリの群生地があると、大日山のおじさまからうかがっていましたが、降り口を見つけることができませんでした。まあ、それほど広い城だったということです。

しかたがないので登山道をさらに先へ進み、麓へと下山しました。

ここから下里分校までは、のどかな風景の中をてくてく歩いて一時間。

山でお昼ご飯を食べそびれたので、まずは適当に桜の花が綺麗に咲いてるところに陣取って、お花見前に軽くお花見することにしました。