まんじゅうの天ぷら – 福島県 強清水

強清水物語
寛喜三年、村に木こりをしていた与曾一、与曾二という父子がいた。父の与曾一はまじめな働き者だったが、息子の与曾二は大のなまけ者で、年中酒をのみ、果てはおいはぎまでするようになっていた。
息子の与曽二の悪さざんまいで米も買えないありさまだったが、どうしたわけか、父の与曾一の山仕事の帰りには、いつも酒に酔っていた。
不思議に思った与曾二があとをつけてみると、岩の間からあふれる活水を飲んでいた。
与曾二は、清水を酒にたとえて飲む父の姿に親不孝をくやみ、以後、孝養をつくしたという。
今の強清水がそれだと言われている。会津かわひがし町観光協会
なぜ息子の悪さで、米が買えなくなるのか?
なぜ父は酔ったふりをしたのか?
なぜ息子はそれを知って改心したのか?
そもそも酔ったふりをするのに、水を飲む必要ないのでは?
この突っ込みどころ満載の物語の舞台になった強清水は、会津若松市と猪苗代町の間の山間部にある。辺鄙な場所であり、幹線道路から内に入っていて案内板も無いので、知らずに来る人はまずいないだろう。

湧水は取水所として整備されていた。屋根も壁もある建屋で囲われていて、とても大切にされているようだ。
強清水の周りに数軒の茶屋があるだけの、集落とも言えない集落だが、訪れる人はそれなりにいる。

水が良いので蕎麦もあるが、ここの名物はなんといっても「まんじゅうの天ぷら」だ。名前そのままに、まんじゅうに衣を付けて揚げたものである。おそらく固くなったまんじゅうの再利用から生まれたのではないだろうか。

まんじゅうの天ぷらばかりが名物になっているが、天ぷら盛り合わせのまんじゅう以外のタネに興奮した。まんじゅうの他は、水でもどしたスルメと身欠きニシンだったのだ。
コールドチェーンが未整備だった時代に手に入れることのできた、貴重な海産物の天ぷらである。海に憧れた山の民の天ぷらなのだ。

冒頭に引用した強清水物語の寛喜三年が西暦何年に当たるのか調べてみると1231年だった。なんと鎌倉時代の話ではないか。
山の民の天ぷらが、この地でいつから食べられているのかはわからない。天ぷらという調理法が伝播して以降だから、早くても江戸時代だろう。地方の山間部に天ぷらが伝わるのは、もっと後かもしれない。いずれにせよ、現代では生まれる可能性ゼロの食べ物である。
令和の時代にこんな天ぷらが生き残っているのは奇跡に近いではないか。
2025年11月





