栃木百名山爺との遭遇 – 芝草山
日光の北で那須の南、高原山の西で荒海山の東、名山に囲まれたこの地域もまた山深い地で、登るべき山は数多くあるものの訪れる人は多くはない。
そんな登山者空白地帯の山の中から、まずは芝草山に登ってみることにした。芝草山を選んだのは、なんとなく名前が魅力的だったからだ。

どんな山なのだろうと思って来たが、よく整備された広い登山道があり、これは楽勝だなと登っていく。
楽勝気分で余裕で進んでいくと、唐突に道が消えた。トラバース路が完全に落ちていたのだ。
どう見ても先へ進めない。尾根に乗るしかない。尾根を見上げて斜面を観察する。50mくらい登れば尾根に乗れそうだ。下の方は傾斜がキツいが、上部は比較的ゆるやかに見える。行けそうだな。
斜面の土を掴んで、体を引き上げるようにして登っていく。しかし毎度毎度、なんでこんなことになるのだろう。

下山時に、トラバース路から尾根に分岐する地点を確認した。上の写真で直進せずに右側の尾根を登るのだ。これは間違えるだろう。ヤマレコのみんなの足跡を見てみると、やはり間違えて直進している人が多かった。しかし、ほとんどの人はこの分岐ポイントまでもどってて、斜面を強引に突破した人はあまりいないようだった。
尾根に復帰してからは、ザレた斜面を登ったり大岩を越えたりして、最後はまあまあな急登を登ると山頂だった。

山頂は狭く、木々が生い茂って視界は良くない。
会津の山がかろうじて見えたものの、日光や高原山、荒海山は見ることができなかった。

山頂に到着する直前に、ソロの爺さんに追いつかれた。見たところ70歳は越えていそうだ。もしかしたら80歳を越えているかもしれない。白のワイシャツを着ていて、まったく登山をする格好には見えないが、追いついてきたのだからかなり速いはずだ。かくしゃくとして声も大きく、耳もまったく遠くはない。人懐っこくて、やたらとおしゃべりである。山では基本的に静かにしていたい方なのだが、爺さんのペースに巻き込まれて、延々と会話が続いた。
爺さんは日光に住んでいて、免許返納した今は電車で山に登っているという。ということは今日も駅から登山口まで歩いてきたのか。4kmくらいだから歩けない距離ではないが、その後もハイペースで山を登るのだから、爺さんにしてはかなりタフだ。
山の案内が好きなようで、さまざまな山を紹介してくれるのだが、日光や那須は当然として、高原山、荒海山、七ヶ岳といった周辺の主要な山には登ったことがある。紹介する山がどこも登頂済みなので、爺さんは残念そうだった。
「そりゃ、わざわざ東京からこんな山に登りにくるのだから、他はだいたい登ってますよね…」
登山口に停めてあった車を見たのだろう、私がどこから来ているのか知っていた。

メジャーどころではダメだと察した爺さん、今度は栃木百名山の話を始めた。そしてこの爺さん、栃木百名山をずいぶん昔に完登していることが判明した。百名山のうちたいへんだった山を尋ねると、雪がある時しか登れない山が二つあって、それがたいへんだったと言う。あれとあれだな、まだ登ってないんだよな。
私が興味を示したからか、栃木百名山爺はさらに饒舌になり、周辺のマイナー山の情報をあれこれしゃべり続け、私は登ってない山ばかりなのでふむふむと聞き入った。栃百爺はすっかり満足したのか、帰りの電車の時間があるからと下山していった。
私も、ひとりの静かな山頂をしばらく満喫してから下山した。

下山時には何人もの登山者とすれ違った。イワカガミの季節は登山者が多いものの、他の時期に登る人は少ないと栃百爺は言っていたが、そんなことはない。けっこう人気の山ではないか。
登ってくる人は多いけど、下っていった栃百爺にはぜんぜん追いつかない。先に下山していったし、もともと追いつかれるくらいに速いのだから下山中には追いつかないと思ってはいたが、下山して駅に向かって車を走らせても追いつかない。おかしい。そんなに速いのか?
あの爺は幻だったのではと疑い始めた頃、ようやく軽快に歩いている栃百爺に追いついた。追いついたのは、駅のすぐ手前だった。
栃百爺は私に「早かったね」と言い残すと、駅へと向かっていった。
2025年9月





