静かな大都会熊本、馬刺しを探してさまよい歩いた夜
熊本は大都市だ。九州内では福岡、北九州に次ぐ規模を誇る。
だが、九州第三位の大都市にもかかわらず熊本駅前は閑散としていた。交通量は極端に少なく、片側二車線の駅前通りを走る車は数台ぽっきりだ。人通りもほとんどない。閑散としすぎである。
名古屋や仙台のように、長距離移動が主目的のJR駅は街の中心からやや外れた場所にあり、中心街とJR駅とはバスや地下鉄、路面電車といった公共交通機関で結ばれている地方都市は多い。福岡も同じ構造だし、京都も広島も宇都宮もそうだ。とはいっても、どの街でもJR駅周辺にだってそれなりのにぎわいがある。店もあるし人通りもある。
それに比べて熊本だ。ほんとに店がない。ラーメン屋もないしファストフード店もない。呑み屋もなければいかがわしい店もない。コンビニは駅構内にあり、お土産屋や飲食店街も駅構内にはあるのだが、駅前にはまったく店がないのだ。
この日は大晦日で、駅構内の飲食店は閉店時間が夕方だった。吉野家でさえ閉店するらしい。駅に掲示されていた周辺施設の年末年始営業案内を見ると、駅裏手を出て少し歩いたところにも飲食街があり、そちらは夜まで営業しているとわかった。
ビルの一階に数軒の飲食店が並んでいるのがその飲食街だった。ところが営業してるのは一軒の焼肉屋だけで、他の店はすべて休業中だ。飲食街としては営業していることになっていて、ポスターでも営業日時が案内されているのに、テナントはそれぞれ独自に休んでるのだった。さすが熊本、恐れ入った。
恐れ入っていてもどうにもならないので、中心街まで行くことにした。熊本駅から路面電車で五番目の辛島町駅の東側に飲食店が集まっているので、おそらくそのあたりが熊本の繁華街なのだろう。
まだ時間は早いからぶらぶら歩いて行くことにした。それにしても閑散としてる。建物はあるのだけど、なにをしているのかよくわからないビルばかり。大きな川が街を流れていて、人口74万人の大都市とは思えないのどかさだ。
路面電車が街を走る姿は絵になるものの、それ以外は単調で徒歩移動はあまり楽しくない。素直にバスか路面電車に乗ったほうがよかったかもしれない。
ところで熊本と言えばくまモンだが、こいつはそこらじゅうにいる。駅を出たらすぐにくまモン、お土産屋はくまモンだらけ。なんでもかんでもくまモンだ。民家の壁にもくまモンがいた。
くまモンは利用料フリーで使えて、熊本県のPRにつながるのなら原則的に誰が何に使ってもよい。個人の非営利利用なら許可申請すら不要だ。キャラクターからの直接利益はゼロでも、くまモンによる経済効果は膨大だろう。地域振興を目的にした行政のゆるキャラ戦略としては大成功だ。
辛島町駅の東側の新市街から始まり、下通、上通と続くアーケード街が熊本の繁華街だ。アーケード街は長大で、辛島町駅から3駅先の通町筋駅の先まで続いている。熊本中の店舗がここに集まってるんじゃないかと思うほどだ。でも人通りはそれほど多くはない。まあ地方都市の大晦日なんてこんなものだろう。
熊本名物としてまず最初に思い浮かぶのは馬刺しだ。馬肉の消費量も生産量も熊本県はぶっちぎりで全国一位である。
繁華街を少し歩いただけで、馬肉料理専門店が5軒も見つかった。同じ店の別店舗がすぐ近くにあったりして、狭い範囲に集中している。市内のほとんどの飲食店が繁華街に集まっているせいでおかしなことになっているのだが、それだけ需要があるということでもある。やはり大晦日は休業の店もあり、営業している店をのぞいてみたが、2軒続けて予約満席だった。
馬刺しは馬肉料理専門店だけで提供されるわけではない。むしろほとんどの店にあると言ってもいいだろう。郷土料理店には確実にあるし、居酒屋でも馬刺しを出さない店はないのではないか。なにせ全国チェーンの海鮮居酒屋、具体的に名前を挙げると『磯丸水産』や『目利きの銀次』ですら、馬刺しを扱っていることを店頭で大々的にアピールしてるくらいなのだから。
あいかわらず入れる店が見つからないので、もうこれでいいやと磯丸水産に入ってみたが満席だった。目利きの銀次も満席で断られた。これだけ客入りがあるのだからそれなりに需要はあるものの、営業している店が少ないのだ。
どうしよう、そろそろあせり始めた時、半分くらい席の空いてる焼き鳥屋を見つけた。店頭メニューをチェックすると当然のように馬刺しもある。よしここだ!と入店したら、若い店員さんに「18時閉店ですけどいいですか?」と尋ねられた。時刻を見ると17時45分。そうだよね、大晦日だもんね。今夜は早く帰って家族と過ごすんだよね…。
さすがに15分では、店がよくても私がよくない。そもそも馬肉を切って焼き鳥を焼いたら15分をオーバーしそうだ。あきらめて別の店を探す。ラーメン屋なら空いてるのだけど、さすがにラーメン屋に馬刺しはない。もうすっかり馬刺しの口になってしまったが、あきらめ時だろうか。でも大晦日にひとりラーメンをすするのは、いくらなんでもちょっとさみしい。
というわけで、おしゃれなカフェに座った。おしゃれカフェなんて最も縁遠い店だと思うだろう。実際その通りなのだが、このカフェなんと店内2階が馬肉料理店になっているのだ。カフェの内階段を上がって2階へ行くと馬肉料理店だってのもザ・熊本だし、おしゃれカフェが店頭の立看板で馬肉料理をアピールしてるのもザ・熊本である。
恐る恐るおしゃれカフェに入店して2階へ行きたいことを告げると、2階は空いてないけど1階でも2階の料理が食べられると言われ、今こうしてカフェに座っているのであった。カフェで馬刺しなんて落ち着かないが、そこは店もわかっているのか、カフェ利用客は外から見える店頭席へ、馬刺しと酒が目的の私は店内奥の席へと案内された。
さて、長々と旅したが、ようやく馬刺しである。馬刺し盛り合わせは2人前からとのことで、別に2人前でも食べられるけど、他のものも食べてみたかったので単品でヒレを選んだ。
馬刺しはどこで食べても美味しいものだが、添えられた醤油は当然のごとくとろっとした甘い九州醤油で、これはほんと馬刺しに合う。むしろこれでなければ馬刺しを食べたくないと思うくらいだ。
熊本で馬刺しの次にくるのは辛子レンコンだろう。
辛子レンコンを初めて知ったのは、幼い頃にあった辛子レンコン食中毒事件でだ。11人が死亡する大事件で、連日の報道で幼い私は辛子レンコン=食べたら死ぬ危険な食べ物とすっかり刷り込まれたのだが、それと同時に辛い食べ物が異常に好きな子供だったので、レンコンの穴に辛子を詰めたなんて、なんと魅力的な食べ物だろうとも思った。
実際に辛子レンコンを口にしたのはそれから何十年も経ってからだが、幼い頃の刷り込みのせいで恐る恐る食べたのを覚えている。
熊本の居酒屋メニューにはひともじぐるぐるという料理がある。
ひともじ{一文字)というのはワケギのことで、ひともじをぐるぐる巻きにしたからひともじぐるぐる。そのまんまのネーミングだ。それに酢味噌をかけた料理で、つまりはわけぎのぬたである。ぐるぐる巻きにしてあることで、普通のぬたとは食感が違って噛みごたえがある。
馬刺し以外の馬肉料理は、馬ユッケと馬もつ煮を食べた。この二つは味付けが濃くてあまり好みではなかった。まあ、おしゃれカフェの料理だからね。馬肉専門店だとまた違うのだろうか。
苦労してたどり着いたのもあって酒が進み、慣れないおしゃれカフェの雰囲気もまったく気にならなくなって、すっかりいい気分になった熊本の夜だった。
2024年12月