北アルプスの四日間 その2
day 2
槍の穂先の向こうから、新しい太陽が登ってきた。
朝が来た。世界が光で満ち溢れていく。
昨日は喘ぎながら登った槍の肩までの登りを、今日はほんの僅かではあるが楽に登ることができた。ひと晩寝て疲れが取れたのか、高度に慣れたのか、あるいはおそらくその両方であろうか。
穂先への登りは、山頂で日の出を迎えようとした登山者で混雑していた。昨日のうちに登っておいてよかったな。
今日は穂先へは登らず、槍ヶ岳に背を向けて、穂高を目指して縦走路へと踏み出した。
振り返るといつでも槍ヶ岳が見える。
どこから見ても見紛うことのない、特別な頂である。
縦走路の最初のピークは大喰岳だ。ここから眺める槍の姿は美しい。
見晴らしのよい場所に腰を下ろし、槍を眺めながら朝ごはんを食べた。
大喰岳、中岳、南岳と3000m峰が続く。この間、中岳の先で2940mまで標高を下げ、3032mの南岳へと登り返すことになるが、概ね穏やかな稜線が続く。
空は晴れ渡り、風は優しく、稜線は穏やかで、実に心地よい。
南岳から南岳小屋へ下り小休止した。もうこのままここに泊まってもいいなと思えるくらい気分のいいところだ。
小屋をのぞいたり、小屋の周りをぶらぶらしたり、なんとなくズルズルのんびりしていたが、ヘリがくるとのことで小屋の先の小ピークまで退避させられたのを契機にして、再び縦走路を歩きだした。
槍から穂高までの3000m級の稜線のうち、穏やかなのはここまでだ。この先はいよいよ大キレット、そして涸沢岳超えも待っている。
南岳小屋からは急な斜面でどんどん標高を下げていく。
岩がちな地形でガレてるところもあるので、石を落とさないよう慎重に下る。特別に難しい下りではないが、こんなに下ると登り返しが辛いなと、先のことを思うと少々うんざりもする。
下り切ったら登りだ。この標高での急な登りは体力を削られる。酸素が足りなく息が上がる。
ピークをひとつ越えたらまた下り、鞍部まで降りて、また登りが始まる。体が重くスピードは全く出ない。背中に背負ったザックの重量が、肩に腰にじわじわとダメージを与える。3000mの薄い空気に呼吸が喘ぐ。強烈な紫外線が剥き出しの皮膚を焼く。足が上がらない。ただ地面を見つめて黙々と登る。やたらと喉が乾く。体を捻ってザックの脇ポケットのボトルを取り出す。水分補給するだけでも体の負担が増える。
そういえば長谷川ピークはどこだろう?
見上げる先は延々と長い登りが続いている。振り向くと、先ほど超えたピークが目に入った。あれが長谷川ピークだったようだ。そうすると、大キレットの最低鞍部はその手前だっただろうか、先だったであろうか。ただ足元を見つめて黙々と、ひたすらじりじりと歩いていたため、なんの感慨もなく通過してしまった。無心だったか…というとそうでもなく、キツさと辛さと喉の渇きに支配されていた。
とすると、この登りは北穂へと続いているのだな。あとどれくらい登るのだろう。進みが遅いせいで、どこまでも続く果てしない登りのように感じる。
水をひとくち、ふたくち、みくちと飲んだ。渇きは癒えない。なぜ、こんなにも喉が渇くのだろう。思い切ってさらにごくごくと飲む。ケチって飲んでたが、もう限界だ。2リットルの水はまたたくうちに減っていく。残りはもういくらもない。穂高岳山荘までこれでもたせるつもりだったが、どう計算しても無理そうだ。もういいや、北穂高小屋で水を補給しよう。すでに小屋の水に頼っているんだから、何回頼ろうが同じである。それよりこの喉の渇きだ。思いっきりごくごくと冷たい水を飲みたい。いや、冷たいポカリスエットが飲みたい。
南岳小屋で、ソロのおじさんがポカリスエットを買って飲んでたのが、ずっと頭の中にあった。いいな、うまそうだったよな、あのポカリ。昨日は小屋で雨水を買ってしまったが、パッケージ飲料を買うなんて考えてもみなかった。ヘリコプターで運び上げた商品をお金と交換するなんて、邪道もいいとこだろと思っていた。でも一般的に考えて、水を買うのとそんなに違いがあるわけでもない。うまそうだったよな、あのポカリ。汗もたっぷりかいて、ミネラルだかイオンだかもずいぶん流れ出てしまっているだろう。冷たいポカリスエットでごくごくと喉を潤す妄想が止まらない。もういいや。変なこだわりは捨てよう。水も買ってるんだから、ジュースを買っても同じことだ。それに内緒にしてたけど、実は南岳小屋で、2個50円のドーナツを買い食いしている。十分な食料を持った上で、小屋の手作りの食べ物を試しにちょっと食べてみるのと、自分で背負ってこれなかったパッケージ商品をお金で買うのとでは、自分の中でのやっていいレベルがだいぶ違うが、でももういい。この暑さと喉の渇きには耐えられない。今回に限っては、こだわりも捨てた。北穂高小屋で水を補給して、それからポカリスエットも飲もう。
そうと決めたら一刻も早く小屋に着きたい。早く早くと気は焦るものの、一向に距離は縮まらない。足元を見つめ、じりじりと登り、わずかづつ標高を稼いでいく。
こだわりを捨てたつもりでも、まだ心に葛藤はある。心の声が自分を責める。いいのか?それでいいのか? 小屋に着いたらポカリを飲む、それでいいのか? 納得できるのか? いや、いいよもう。今回はおれの負けだ。どうせ水はもたないんだ。でも、ほんとうにそれでいいのか? いいよ!いいって言ってるだろ!
たかがポカリスエット1本で大げさだよなと苦い笑いがこみ上げる。
小屋は見えてきたが、いつまで経っても近づかない。一歩、また一歩と重い足を繰り上げて登る。息が喘ぐ。顔を上げて上を見る。小屋は、先ほどと全く変わらない距離にある。ふぅ。
それでも黙々と登っているうちに、少しづつ小屋が近づいてきた。そういえば飛騨越えってどこだったんだろう。確かに落ちたらアウトな場所はいくつかあったが、落ちそうなところは皆無であった。ここまで全く危険は感じなかった。それよりもこの暑さと喉の渇きだ。大キレットはひたすら体力勝負である。
小屋まであと20m。ポカリスエットまであと少しだ。登り切ったところでこちらを見下ろして、なにか話してる人たちが見える。あと10m。暑い。喉が渇いた。呼吸が苦しい。あと5m…あと4m…3m90㎝…3m80㎝…3m70㎝…。
ようやく小屋までたどり着いたときは、その場にへたり込みそうなくらい消耗していた。
登り切ったところにいた人たちに声をかけられたが、適当に返事をしつつも、心ここにあらずだ。ポカリポカリポカリ…。冷たいポカリスエットで喉を潤す。いまはそれしか頭にない。
売店へ行き、お目当てのポカリスエットを購入した。その場で開栓し、一気に飲む。ごくごくごくごくごくごくごくごく………。水分とその他ミネラルだかイオンだかが体の隅々まで行き渡り、細胞が嬉しい悲鳴でぷるぷる震える。1本500円のポカリスエットを3秒で飲み干してしまった。
水を2リットル補給したら再出発だ。人でごった返していた北穂高岳の山頂は早々と後にして、涸沢岳から穂高岳山荘を目指す。
進む先には、岩がちな奥穂高岳が大きく聳えている。その横にはジャンダルムが見える。ジャンダルムの山頂に人が立っているのも見える。あそこだ。あそこへ行くんだ。あそこへ行って、あの頂に立つんだ。
そう思うと力も入る。イオンサプライのおかげか、ガスが出てきて直射日光を浴びなくてもよくなったおかげか、それとも単に下りだからか、先ほどまでより体も軽く感じる。しかし、3106mの北穂高岳から2945m地点まで下った後は、また3103mの涸沢岳まで登り返しだ。体力勝負がひたすら続く。ペースは一向に上がらない。標高差たった58mの登り返しだが、これがけっこうキツいのだ。疲労が蓄積している。ここまでは、なんだかんだ言いつつもCTを巻いてきていたが、ここにきて遅れ始めた。
早く早くと気ばかり焦る。ずっとなにかに追い立てられて登っているような気分だ。なにに? それはきっと、北アルプスの稜線に特有のテント場事情にだろう。
稜線のテント場は狭く、張れるテントの数には限りがある。早く到着しないと、張れないことも十分ありえる。実際に昨日の槍ヶ岳山荘も、午後2時ですでにいっぱいだった。穂高岳山荘も槍ヶ岳山荘と同様に稜線上にある。張れる数は多くないだろう。お盆休みの北アルプスは想像通りの賑わいである。このままいくと到着が2時を過ぎるのは確実だ。
もし張れなかったらどうしよう。穂高岳山荘は、槍ヶ岳のように、すぐ下にもテント場があるわけではない。先ほどの北穂高小屋のテント場は、まだ11時だというのに半分くらい埋まっていた。一瞬、北穂で泊まろうかとも考えた。確実にテントを張るならその方がいいが、まだ時間も早いし、まだ先へと歩いていきたい。それにこの後の予定もある。
もし北穂高小屋で一泊したら、明日は穂高岳山荘までとし、四日目に西穂まで縦走する。これだと確実だ。時間はある。だが、出発前に見た天気予報では、四日目がよくなかった。雨の中、西穂までの岩稜を歩くのは避けたい。三日目に一気に西穂まで行くのも、行って行けなくはないが、疲れのくる後半に危険箇所を残していいだろうか。それに、途中で水の補給はできないから、穂高岳山荘で必要分を全て汲んでおかなくてはならない。重い荷物で長時間の岩稜通過には多少の不安もあった。西穂までたどり着けなくても、途中の天狗のコルあたりでビバークすることもできる。が、この場合はさらに多くの水を用意しておかなければならない。四日目の朝から天気が崩れていたら最悪だ。
いろいろと考え、悩んでいるのがバカらしくなってきた。お前はいったい何しに北アルプスまで来たんだ? テント場争奪ゲームをしに来たのか? もうすでに北穂高小屋は通過した。いまから戻ってもテント場に空きのある保証はない。それに今日は穂高岳山荘まで歩きたかったんだろ。だったら行くしかないじゃないか。行ってダメならその時はその時。そんなのいくらでも対応方法は思いつくだろ。だったらいま思うのはそんなことじゃないはずだ。テント場のことで頭をいっぱいにして登って、なにが楽しいんだい?
そう思うと、気持ちがすーっと軽くなった。ここまでずっと、なにかに追われて歩いてきていた。早くしなくちゃ、早くしなくちゃと。それがこの、いつにない疲労と焦燥感につながっていたのだろう。山を登るということは、もっと自由であったはずだ。
槍からここまでずっと、登山道は完ぺきに整備されていて、危険は可能な限りとことん排除されていた。ペンキマークもやたらとあって、迷いようもない。
涸沢岳への登りでも、岩に打たれたボルトを足場にして突破するような、落ちたら命はない場所もそれなりにはあったが、特に恐怖を感じることもなく通過して、涸沢岳の山頂に到着した。