北アルプスの四日間

夏休みは北アルプスへ。春からずっとそう考えていた。

これまではほとんど日帰りでしか山へ行けなかったので、なかなか北アルプスに登ることができなかった。それが、まあ、望んだわけではないが、休日はわりと自由に好きなだけ山へ行ってられる身になってしまった。それに今年からできた山の日のおかげで、夏休みも一日長くなった。

よし、夏休みは北アルプスへ行こう。

北アルプスのどこへ?

初めての北アルプスなら、やっぱりあそこしかないだろう。

南アルプスから八ヶ岳からその他の周りの山々から、指をくわえて眺めていた、あの特徴的なとんがり山と、そこから伸びる大きく切れ落ちた稜線、そしてその先のゴツゴツ山。そう、槍ヶ岳から大キレットを超えて穂高岳へ。そしてそのまま西穂高まで。

北アルプスデビューにふさわしいコースである。

day 1

沢渡からの始発バスで上高地に着いた。反対側から登れば安上がりですむが、北アルプスデビューなのだから、由緒正しくこちら側から登りたい。

初めての山の日を迎えた上高地は、早朝にもかかわらず多くの人で賑わっていた。この時間はほとんどが登山者だが、周辺散策らしき人もちらほら見かける。テレビ局の中継車も来ていて、登山者にインタビューをしている。様々なイベントも予定されており、どうやら皇太子殿下もお超しになるようだ。

賑わいから逃れるようにして上高地を出発した。

全員が同じ方向へ歩いていく。当分は平坦な遊歩道が続く。速い人もちらほらいて、次々に抜かされるが、ペースを上げないように注意してゆっくり歩く。先は長い。始めから飛ばして疲労が残らないようにしておきたい。

明神、徳沢、横尾と順調に通過して、いよいよ登りが始まった。

ザックの脇ポケットに突っ込んだナルゲンボトルを取り出して、ぬるくなった水を飲む。いつもはハイドレーションを使っており、今日もキンキンに冷えた氷水の入ったブラティパスがザックの背中ポケットには刺さっている。しかしどうやら、チューブを忘れてしまったらしい。しかたなく空のボトルに水を入れ、なくなったらプラティパスから注ぎ足すことにした。脇ポケットのボトルの出し入れは、ザックを背負ったままだと体を捻らなくてはならず、飲むたびに不要な力がかかるし、イライラもする。全く鬱陶しい限りだが、自分で忘れてきたのだからしかたない。出発早々の忘れ物の発覚で、幸先の悪いスタートであった。

槍沢ロッジも混雑していた。いったいみんな今日はどこまで登るのだろう。こうも人の流れが途切れないと、上の方は大混雑になるのではないかと心配になる。傾斜はしだいに急になり、高度のせいもあって息が切れる。ただひたすら、黙々と登り続ける。

最後の水場で休憩し、冷たい水をたっぷり飲んだ。ナルゲンボトルと二つのプラティパスを湧き水でいっぱいにした。

この先、稜線上に水場はない。北アルプスの稜線の水場の少なさは致命的だ。稜線から外れて水を汲みに行くとしても、水場まで2時間下り3時間登る必要があって現実的ではない。汲めるだけ汲んだといっても4.5リットルである。これでこの先の数日間を賄えるわけもない。小屋の水に頼るのは、他人の力を借りて山に登るような気がして割り切れない思いが残る。正直、この期に及んでもまだ、小屋で水とお金を交換する踏ん切りがついていなかった。じゃあどうするのかといっても、なにかいい案があるわけでもない。次の水場は三日後だ。それまで4.5リットルでもつわけもない。それでなくても暑さのせいで予想以上に水を飲んでいる。調理にだって水は必要だ。釈然としない気持ちを抱えたまま、それでも槍を目指して登り続ける。

森林限界を超えた荒涼とした風景の中を登っていく。高度の影響で体が重く足が上がらない。それでも、ゆっくりとではあるが、一歩づつ登っていく。

すると唐突に、端正な三角錐の槍の穂が姿を現した。沢を登り詰めた先に見えるその頂は、現実であるはずなのに現実ではないような、なんだか夢の中の景色のようであった。

ここまでもチラッと穂先の見えるポイントはあったが、こんなに近くに、こんなに堂々と見えるのは、ここまで登ってきてようやく初めてである。それはもうまるで手が届きそうなくらいすぐそこにあって、何度も何度も立ち止まっては見上げてしまう。少し歩くと角度が変わり、槍はその表情を微妙に変える。

いつまでも見上げていたいが、そうもいかない。まだあそこまで登らなくてはならない。

槍の穂先を目指して登るが、登っても登ってもその距離が縮まらない。すぐそこに見えてたはずの頂が、いつまでたっても近づいてこない。途中に見えてる殺生ヒュッテにも、なかなか辿り着かない。

少し歩いて顔を上げる。槍はまださっきと同じ場所にある。さらに登る。息が切れる。体が重い。立ち止まって上を見る。槍は、さっきと全くかわらない距離にある。

重い荷物と高度の影響に喘ぎながら、ようやくのことで殺生ヒュッテに到着した。下ってきた登山者からの、槍ヶ岳山荘のテント場はいっぱいだったという情報で、今夜はここに泊まることにした。まあ、槍の肩までそれほどの距離ではないので、明日の行程に大きな影響はない。

テントを設営し、槍の穂先を見上げた。尖った頂が、晴れた空に大きく突き刺さるかのようだ。天気はいい、日没までじゅうぶん時間はある、登ってる人もあまり多くはなさそうだ。行くか。登れるときに登っておこう。見えてるうちに登っておくのは、山での鉄則である。

水と防寒着とカメラだけ持って、稜線までの最後の登りに取りかかった。荷物が軽くなったのに、足が重く息が切れるのは変わりない。登っても登っても一向に近づかないのも同様だ。

ずいぶんと消耗して槍の肩まで登った。

穂先へと登っている人も何人かいて、ところどころで詰まってはいるが、行列ができているようなことはなかった。これなら快適に登れそうだ。

傾斜はそれなりにあるとはいえ、クサリやハシゴで整備されていて、難しく感じることも危険なところもなく、目の前の課題を順番にこなしているうちに、あっさりと槍の穂先へ出た。

風が冷たい。午後の傾きかけた日の光に照らされて、空が薄いオレンジ色に染まっている。

後立山や裏銀座方面へと山並みが続いている。あっちのほうも歩いてみたい。表銀座の大きくて得意な形の山は常念岳だ。蝶ヶ岳、常念岳、大天井岳、燕岳と登ったことのある山々が連なっている。

振り返ると稜線の先には威風堂々とした穂高岳が見えた。明日はあそこまで行くのだ。

狭い山頂にたくさんの人がいて少々窮屈ではある。でも、だれもなかなか降りようとはしない。

そりゃそうだろう。ようやくここまで登ってきて、こんな気持ちのいい場所にいるのだもの。少しでも長く留まっていたい。

登りはあんなにキツかったのに、下りは軽く簡単にテントまでもどってしまった。

手持ちの水を確認してみた。暑さのせいか乾燥しているせいか、それとも高度の影響なのか、やたらと喉が渇いてかなりの水を飲んでしまった。あと2リットル少々しか残っていない。これから夕飯を作り、まだいくらかの水を飲むだろうから、明日残っているのは1リットルちょっとというところだろうか。これでは明日一日もたない。それに明日も水場にはたどり着けない。もうここらで観念しよう。小屋へ行き、1リットル200円の雨水を2リットル、お金と交換することで手に入れた。

なんだかこれでひとりの山は終わってしまったかのようだ。しかたない。認めたくはなかったが、最初からこうなることはわかっていたのだ。営業小屋の力を借りて山に登ることに心の抵抗があったが、それを受け入れられないまま、なし崩しにここまで来てしまったのだ。なんだかがっかりとしたような、残念なような気持ちを抱えてしまった。

そうだ、槍を眺めながら、担いできた酒でも飲もう。

槍の穂先はずっと見えている。それだけで十分じゃないか。

プラティパスに入れた焼酎を注ごうとして気づいた。どうやらカップも忘れてきたようだ。出発前に台所にあったものは、全て置いてきてしまったらしい。なんとも忘れ物の多い山行である。僅かな忘れ物、僅かな心の葛藤、それらは少しづつではあるが確実に、あらゆることの歯車が狂ってしまっていることの現れなのであろう。

しかたなくナルゲンボトルに焼酎を注いで飲む。なんというか、なんとも気分が出ない。ラーメンどんぶりで生ビールを飲んでるような気分だ。

夕暮れの空に染まりゆく槍の穂先を見上げながら、苦い酒を飲んだ。