灼熱アルプス Day2 – 祖父岳 / 水晶岳 / 赤牛岳

テントの下の地面にはいくつもの大きな石が埋まっていて、頭を地上に出している。マットを敷いてもゴツゴツと背中に当たり、まっすぐ寝ることができない。石を避けてS字型になって、寝返りも打てずにひと晩を過ごした。縦走2日目も寝不足で始まった。

雲ノ平にテントを張ったまま、水晶岳から赤牛岳まで行ってもどってくる。距離が長いので早めに歩き始めたかったが、そんなこんなで明るくなってからの出発となってしまった。

まずは祖父岳への登りだ。疲れが残っていて、足取りは重い。

大きく開けた祖父岳の山頂からは、薬師岳、黒部五郎岳、三俣蓮華岳、鷲羽岳、槍ヶ岳、これから向かう水晶岳から赤牛岳への稜線もよく見える。秀麗な山々に取り囲まれて素晴らしい眺めだ。周囲が超有名山ばかりなので地味な印象だが、祖父岳もなかなか捨てたものじゃない。標高だって2800m以上ある。

ここでゆっくりしていたかったが、そうもいかない。しばらく風景を堪能してから、先へ進んだ。

初日と同様、他の登山者に次々と抜かされていく。足が怠くて歩みはゆっくりだ。汗はひっきりなしに流れ、すでにシャツはぐっしょり濡れている。

いかんな。ここまでで1リットルの水を飲んでいる。まだ全行程の1割程度しか進んでないのに、水は4分の1を消費してしまった。

岩苔乗越から沢沿いに下り、水場へ向かった。この先には水場は無い。水晶岳を超えて赤牛岳まで行き、再びここへもどってくるまで、ここで給水した4リットルで済ませねばならない。ここから1時間歩けば山小屋があるから、お金を出せばそこで買うこともできるが、それでも小屋の先の往復6時間半は自前でなんとかするしかない。

岩苔乗越から水晶小屋までは、2年前に歩いたことがある。こうして歩いたことのある道に出会うのはいいものだ。線と線が繋がり交わって、登山が面になっていく。

見覚えのある懐かしい角度の鷲羽と槍を目に収めてから、分岐を水晶岳へと向かった。

水晶岳は三度目の正直だ、 最初はガスガスで小雨も降ってきたので、ワリモ北分岐から三俣山荘へもどった。二度目は先を急ぐために、水晶岳には寄らずに裏銀座を進んだ。そして今回、なかなかの好天にも恵まれた。過去二回は水晶岳に立ち寄ろうとしてやめたのだが、今回はここで終わりではない。

その先の稜線へと踏み出した。

百名山の水晶岳は登山者で賑わっていたが、それを超えて歩く人は少なかった。真夏の北アルプスらしからぬ静かな稜線だ。

温泉沢ノ頭で大休止する。ペースは上がらず予定よりだいぶ遅れているが、そろそろエネルギー補給しないと、さらに遅れてしまうだろう。縦走中は夜に炊いた米の半分を翌日の弁当にしてるのだが、芯の残った昨夜の米はとても不味くて喉を通らず、半分しか食べられなかった。

遠目にはすぐそこのように見えていた赤牛岳だが、歩いても歩いてもなかなか近づかない。山頂までは3つのピークを超えていかねばならない。登って下って登って下っての繰り返しになる。ガレた登山道は歩きづらく、ペースはさらに落ちてしまう。

後から歩いてきた数人の登山者には、すでに追い抜かされ、引き離されてしまった。時間もだいぶ押しているので、もうこれから向かってくる人はいないだろう。赤牛岳への本日最後の登頂者になりそうだ。

どちらを見ても素晴らしい景色だ。進む先の稜線も美しい。考えようによっては、こんな風景を独り占めして歩けるんだから悪くない。

最後の登りをふらふらと登り、山頂に到着したのは12時半を過ぎていた。予定よりかなり遅れている。遅くとも正午には折り返さないと、まともな時間にテント場までもどれないのはわかっていたが、帰ったら寝るだけなのでまあいいだろう。

周囲の山々を眺め、写真を撮り、不味い弁当の残りを食べ、来し方行く末に想いを馳せて、そろそろもどるかなと立ち上がりザックを背負ったところで、急に年配の女性が現れて驚いた。水晶小屋に荷物を置いて来たそうだ。まさかこんな時間の赤牛岳で登山者に遭遇するとは思っていなかった。

せっかく人がいたのだからと、お互いに山頂写真を撮り合ってから出発した。帰り道も長い。まだここで半分だ。

少し休んだので体力も回復したのか、そろそろヤバいので必死に歩いたからか、温泉沢ノ頭まではCT通りで来た。このペースで歩き続ければなんとかなるが、どうやら2時間でエネルギーを使い果たしたようだ。

温泉沢ノ頭でへたっていると、赤牛岳のご婦人が追いついてきた。

「ジュース余ってたら売ってもらえません?」

は?

暑さでやられて脱水症状で、できれば水じゃなくてジュースが飲みたいということらしい。ジュースなんて余ってない、というか最初から持ってない。水はどれくらい残ってるのか尋ねると、500mlのナルゲンボトルに入った3センチくらいの水を見せた。水晶小屋までならあと1時間半だから、それでなんとかなるでしょう。てか、たった500mlの水しか持たずに来たってことですよねそれ…。

「暑くて暑くて、普通ならこれで足りるんだけど」

いやいやいやいや、厳しいでしょう。往復のCTは6時間40分、こっちは4リットル背負ってきてるというのに。

多少なら水を分けてあげても足りなくなることはないだろうと思ったが、こちらも先は長い。おばさんも大丈夫そうに見えるので、あまり離さないように歩いて、なにか事があれば助けることにしようと心に決め、再び歩き始めた。

温泉沢ノ頭から水晶岳までは登りが続く。時々振り返ると、熱中症おばさんはさほど遅れもせずついてきている。

1時間で水晶岳に着いた。熱中症おばさんは、小屋から登ってきた登山者に、おそらく小屋で高いお金を出して買ったであろう水をせがんでもらっていた。そしてその水を飲み干すと、さっさと歩いていってしまった。山頂でへたり込んでいた私は、熱中症のおばさんにも追い抜かされるほどヘロヘロだったということだ。

おばさんはあと30分だが、私はまだあと3時間近くかかる。いまさらあわてても変わらない。そう心に言い訳をして、再び自分のペースで歩き出した。

岩苔乗越までもどると、テントを設営しているカップルがいた。えっ、こんなとこで?と思ったが、時計を見ると17時30分。確かにビバークを考える時間ではある。祖父岳方面へ進むと、さらにテントひとつとツェルトひとつが張られていた。

赤牛と水晶の間でも、ビバークしようとしているカップルを見た。すれ違った二人組パーティーにはビバーク適地の相談も受けた。まあ、あちら側はテント場も遠いからわからなくもない。しかし、岩苔乗越なんて三つの山小屋の中心で、1〜2時間も歩けばどこへも行ける距離である。これはおそらく、わざとやってるのであろう。個人的にはどこでテントを張ろうと自由だと考えているし、国立公園内であっても明確に規制する法律はないことも知っているが、北アルプスの人通りの多いところでやるのは、さすがにどうかと思う。やりたい放題やり過ぎると、へんな規制にも繋がりかねないので。まあ、普通なら誰も歩いてない時間ではあるから、まさか見られるとは思ってなかったのだろう。ていうか、もう歩きたくない。私もここでビバークしたい。

歩くのにはとっくにうんざりしてるが、朝に登った祖父岳へ再び登り、そして下った。

ようやく見えてきた雲ノ平のテント場は、夕暮れの最後の賑わいを迎えているようだ。このまま真っ直ぐ下ってしまいたいところだが、通行禁止なのでしかたない。大きく迂回して帰る。

つかれた足には、この最後の迂回路が長かった。歩いているうちに陽は落ちて、あたりは闇に包まれ始めた。歩いても歩いても雲ノ平にたどり着けない。あと少しなのだが、たどり着けない。

ようやくにしてテントへ帰り着いたのは、夜の7時半だった。灯のついているテントはほとんどなく、すでにしんと寝静まっている。ザックをどすんと地面に下ろしただけで咳払いされてしまった。

さすがにこんな雰囲気で食事のしたくをするわけにもいかない。静かにテントに潜り込み、もそもそとチーズ鱈を食べてから、地面の石を避けてS字型になって寝た。

長い1日がようやく終わった。