超古代文明、竹内文書、キリストの墓、ピラミッド

今ここで白状するが、私はトンデモ歴史が大好物だ。超古代文明の存在、失われた大陸アトランティス、古代核戦争、オーパーツ、日ユ同祖論、土偶は宇宙人だった、与那国海底遺跡、義経=チンギス・ハーン説、イエズス会黒幕説などなどなど。加えてオカルトや超能力、UFO、UMAも大好物であり、少年時代はムーを愛読して、ユリ・ゲラーに興奮し、ノストラダムスの大予言を信じて、川口浩探検隊に憧れていたことも合わせて白状する。

すべてを闇雲に信じているわけではないが、かといって一刀両断に否定するものでもないというのが私の立ち位置だ。可能性は常に存在する。

邪馬台国だって畿内説と九州説のどちらかは間違いになる。あるいは両方とも間違いで、邪馬台国朝鮮半島説が正しいのかもしれない。それなのに朝鮮半島説だけをトンデモとするのはいかがなものかと思う。古事記に記された古代の天皇の寿命が異常に長いからといって、その年齢や実在をフィクションだと決めつけるのもいかがなものかと思う。古代天皇はほんとうに長寿だったのかもしれないし、古代の暦の一年は現代の二年に当たるのかもしれないではないか。

弘法大師の数々の偉業は、はたして史実なのか創作なのか伝承なのかトンデモなのか。唐から投げた三鈷杵は高野山に届いたのか。錫杖で地面を突くと湧水が噴き出たのか。御廟で今でも生き続けているのか。考えれば考えるほど事実と真実の境界線は曖昧になっていく。

こういうことを書くと、フェイクニュースや陰謀論に簡単に騙されそうと心配されるかもしれないが、それは違う。我々はムーや東スポで鍛えられてるのだ。確かな批判精神と論理的思考を縦横に駆使してなお、それでも残る微かな可能性を見ているのだ。だいたいフェイクニュースや陰謀論にハマるのは、正解や正義はひとつしかないと妄信している人々であろう。

超古代文明をこよなく愛する者にとって、東北は魅惑の宝庫だ。訪れたい場所は多々あれど、今回はキリストの墓へ行くことにした。

戸来村のキリストの墓は1935年に竹内巨麿によって発見された。

皇祖皇大神宮天津教の教祖であった竹内巨麿が公開したのが、竹内家に代々伝わるという竹内文書だ。天津教ではこの竹内文書が聖典とされている。竹内文書によると、神武天皇以前の超古代にも72代の天皇が存在して世界統一政府を治め、日本は世界の中心であり高度な文明が発達していたという。天皇は飛行船で世界各地を巡行し、各地にピラミッドを建設した。

トンデモ本じゃねえか!と思うかもしれない。だが、竹内文書の他にも『ウエツフミ』や『神伝上代天皇紀』など、超古代の天皇について記された文書は存在する。

椿井文書というものがある。主に近畿地方の寺社の縁起や旧家の由緒、地図、家系図などを記した一連の文書のことだ。地域間の争いの解決に用いられたり、神社の社格を決める際の参考にされたり、あるいは現代でもまちおこしの観光ネタにされたりしている。室町時代のものとされる椿井文書だが、江戸時代後期に書かれた偽書だと判明している。にもかかわらず、いまだに訂正されない寺社の縁起などは数多い。

一方を常識的にありえないという理由で排除しておきながら、もう一方をそれっぽいという理由で放置し続けるのは、科学的な態度とは言えまい。椿井文書は、まったくの創作ではなく参考にした文献があるだろうから、なにがしかの真実を含んでいるはずだという意見もあるが、それはすべての偽書とされたものについても言えることだ。

竹内巨麿によると、イエス・キリストは弟のイスキリを身代わりにしてゴルゴダの丘での磔刑を逃れ、五年の歳月をかけて日本にたどり着いた後、神都として栄えていた戸来村に居住した。村の娘と結婚して三人の子を育て、106歳まで生きたという。

戸来村は隠れキリシタンの里でもなんでもない。竹内巨麿が訪れた当時、戸来村のキリスト教徒はゼロだった。だが、このことをもってイエス・キリスト渡来説を否定するのはナンセンスだ。戸来村のイエスは当地の習俗を尊重してキリスト教を布教することはせず、村に溶け込んで暮らしたのかもしれない。なにせここは神の都なのだから。

キリストの墓は思ったよりも小さな塚だった。木製の十字架が立てられている。竹内巨麿が発見した当時、この塚は十来塚と呼ばれており、十字架は当時からあったという。埋葬者に関しては伝承が途絶えていたものの、重要な人物の墓であると考えられていて、戸来の沢口家が代々所有して守ってきた。竹内巨麿によれば、イエスの三人の娘のひとりが嫁いだ先が沢口家だった。沢口家の当主は赤ら顔で鼻が高く、背も高くてキリストの子孫だとも言われている。沢口家の家紋は五芒星だ。

向かい側にも同じような塚があり、こちらは弟イスキリの墓だという。イエスの身代わりになってゴルゴダの丘で処刑されたイスキリの墓がなぜここに?と思ったら、髪と耳が埋葬されているらしい。

毎年6月の第一日曜日に開催されるキリスト祭では、墓の周りでナニャドヤラを踊る。ナニャドヤラとは岩手県北部から青森県南部に伝わる踊りで、見た目は盆踊りそのものだ。しかし歌われる言葉の意味は不明で、ヘブライ語が訛ったとも考えられている。戸来村という地名もヘブライからきたという説もある。戸来村には生まれて間もない赤子の額に十字架を書いたり、足が痺れたときには十字を切る風習があるらしい。奇妙な符合は枚挙にいとまがない。

十和田の画家であり天津教の熱心な信者でもあった鳥谷幡山は戸来の景観に感銘を受け、こここそが竹内文書に記された神都であると信じるようになる。

竹内巨麿の戸来調査にも同行した鳥谷幡山は、キリストの墓の西方6kmで大石神ピラミッドを発見した。鳥谷のピラミッドの発見は、竹内のキリストの墓の発見の翌日だったと言われている。竹内文書によれば、日本にはエジプトやメキシコのピラミッドよりも古い世界最古のピラミッドが七基あり、大石神ピラミッドもその内のひとつになる。

案内板に従って車を走らせると、山の中腹の鳥居の前に辿り着いた。ここがピラミッドの入口のようだ。

ピラミッド探検コースの順路に沿って歩いていくと、太陽石、方位石、星座石、鏡石と名付けられた巨石群を巡ることになる。太陽石はかつては太陽を反射して輝いていたといい、方位石は正確に東西南北を指しているという。星座石には主な星座が記録され、鏡石は安政の地震で倒れる前は直立していて、古代文字が記されていたそうだ。

これらの巨石の存在が大石神がピラミッドである証拠だという。ピラミッドかどうかはともかく、巨石信仰や太陽信仰といった、なんらかの宗教儀式と関連があるのではとも考えられている。

10分もかからずに探検コースを周回して、元の場所にもどってきた。

キリストの墓や大石神ピラミッドを訪れる観光客は、極一部を除いて本気で信じているわけではないだろう。いわゆるB級スポットとしておもしろがっているだけだ。戸来の人々だって本気で信じてるとは思えない。

しかしながら、キリストの墓はそれがイエス・キリストの墓かどうかはともかく、かつて実在した偉人の墓であるには違いなく、大石神ピラミッドだって古代の信仰の痕跡であるには違いない。批判するでもなく無視するでもなく、かといって妄信するでもなく、眉に唾をつけながらも白黒はっきりさせずにリスペクトして付き合っていくのは、間違った態度ではないだろう。

真面目な宗教者からは非難されるかもしれないが、世界中で起きている宗教がらみの凄惨な事件を思えば、これこそが理想的な関係のあり方なのではないだろうか。

2025年8月

青森県神社仏閣

Posted by azuwasa