本願寺

京都市内を散策して疲れたら、休息を兼ねて本願寺へ行く。

京都駅前の一等地に広い敷地を有する本願寺には、通りの喧騒から隔絶された静けさがある。

本願寺で休むのは、その静寂さのためだけではなく、なにより無料だからである。市内の観光寺院のように拝観料を取ることもなく、観光客でごった返してることもない。

御影堂や阿弥陀堂は大木を使用した立派な建築物である。自由に参拝ができ、畳の上でくつろいだり、時には法話に耳を傾けることもできる。

京都駅前の本願寺(東本願寺)から西へ数100mのところには、こちらも同規模の敷地を持つ西本願寺がある。東本願寺と同様に拝観料は不要で、自由に参拝することができる。

なぜこんな近距離に二つの寺院が存在するのかというと、これもまた信長の時代に遡ることになる。

織田信長に攻められた石山本願寺は、和睦派と徹底抗戦派で内部対立していた。結局、和睦派が信長との講和を受け入れ、本拠地にしていた石山(現在の大阪城)を去ることになる。

後に秀吉により京都に寺領を寄進されて移ったのが現在の西本願寺だ。

家康の世になっても信長時代からの内部対立は続いており、本願寺内で隠居状態であった徹底抗戦派が家康からの寺領の寄進を受けて分立したのが東本願寺になる。

長らく続いた対立も、江戸時代後期には両派が協力して事に当たるようになり、現代では互いの交流もあるが、いまだ合流には至っていない。

一般的には本願寺派と大谷派の違いなど意識されてないだろう。実は、私の実家も浄土真宗であったが、それがどちらの派なのか(またはそれ以外の派なのか)、私は知らない。

東京に住んでいると、せいぜい江戸時代からの歴史しか身近に触れる機会がないが、京都を散策すると信長秀吉の、さらにはそれ以前の時代から連綿と続く歴史がすぐそこにある。

2022年3月