夏山 Hell – 大朝日岳

今年の夏は暑い。毎年暑いが、今年は特に暑い。六月からすでに暑かったが、七月に入ると暑さはいや増しに増し、灼熱の太陽が容赦なく照りつける。もはや生命の危機すら感じる気候だ。とてもじゃないが登山をする気候ではない。生命の危機すら感じる暑さの中で山に登るなんて狂ってる。だけどせっかくの三連休なのだからどこかに登りたい。山屋はだいたい狂ってるものなのだ。

とはいえ昨年の夏も一昨年の夏も、あちこちの山で死にそうな思いをした。あの苦しみを思い出すと、さすがに躊躇してしまう。さて、どうしたものかと山の地図をあれこれ眺めていて発見した。これだ!この山だ!灼熱の夏に登るのはここしかない、朝日岳だ。朝日連峰の大朝日岳だ。

北の以東岳から大朝日岳を経由して祝瓶山まで、数日かけて全山縦走するのは魅力的だが今はその季節ではない。今回は大朝日岳に日帰りで登る。大朝日岳への登山道はいくつかあるが、登るのは古寺鉱泉からの道だ。理由は水場の豊富さにある。山頂まで約6時間の行程のうち水場が3ヶ所もあるのだ。しかもかなりの好位置にある。水量も豊富で枯れることはないらしい。なんとも頼もしい限りではないか。

高山だと水場があっても麓近くだけということも多いが、このルートではそんなことはない。まずは登り始めて2時間の地点に最初の水場がある。二つ目は最初の水場と近いので使う可能性は低いだろう。三つ目の水場は大朝日岳への最後の登りの途中、山頂まで1時間ほどのところにある。こんな絶好の位置に水場があるなんて、なんと祝福された山なのだろう。

夏山の暑さでやられるのは暑いからだけではなく、暑さのせいで脱水症状になるからだ。水が切れると意識が朦朧として視界が真っ白になり体がふらつく。かといって必要十分量の水を担いでいくのも現実的ではない。発汗が過剰で、どれだけ水があっても足りないのだから。だが、これだけ水場があれば補給の心配もない。山の冷たい水で体温を下げることもできる。灼熱地獄対策は完ぺきだ。

樹林帯の急坂を登って2時間、そろそろ疲れたころに最初の水場、一服清水に到着した。ここまで水を節約する必要がなかったので十分に給水できたし、ここでたっぷり水を飲み、さらには手持ちの水筒すべてを満杯にした。万全だ。

二番目の水場、三沢清水は予想通り立ち寄る必要がなかった。通過して古寺山への登りを登る。

古寺山の山頂に立ち、初めて眺める朝日連峰の麗しき姿。

来てよかった。天気予報はあまり芳しくなかったのだが、それでもいちおう来ておいてよかった。こういうことが度々あるので、どんな天気予報でも登山口までは行くことにしている。もしも悪天候で登れなくても、それはそれで何か他のことをすればいい。

古寺山から小朝日岳へはわずかの距離で、少し登れば山頂に着けそうだったが巻くことにした。天気が崩れる可能性もあるので晴れてるうちに朝日岳まで行っておきたいのもあるが、帰りは小朝日岳の山頂で分岐する道を行き、鳥原山を経由して下山する予定なので、小朝日岳にはどうせ後で登ることになるからだ。

巻道の樹林帯を抜けて鞍部へ降りると、あとは大朝日岳への大きな登りになる。傾斜はそれほど急でもないから、ゆったり登っていける。

それにしてもすごい景色だ。アルプス感がある。とても標高1870mの山には見えない。東北の山はお得だ。

登りの途中に三番目の水場、銀玉水がある。登山道からすぐの場所で冷たい水がざんざん流れている。飲み放題だ。素晴らしい。

しかし暑いな。ぎらぎらした日差しに焼かれて焦げつきそうだ。肌がひりひり痛い。灼熱地獄だ。ここまで6リットルの水を飲んでいるが、それらがすべて汗で流れ出ている。

山頂に近づくにつれて、見えている景色の角度が少しづつ変わっていく。

西朝日岳への稜線が美しい。今回は行かないが、必ずここは歩きたい。以東岳から西朝日岳を超えて大朝日岳まで、いつか必ず歩きに来よう。

大朝日岳の山頂直下には避難小屋がある。実にいい場所にある避難小屋だ。以東岳の山頂直下にも避難小屋があるので、縦走すれば二つの主要な山の山頂直下に泊まることができる。以東岳と大朝日岳の間には他に二つの避難小屋があり、水場もある。縦走し放題だ。

大朝日岳の避難小屋から西朝日岳方面の縦走路を下ったところにも水場がある。その名は金玉水。金玉の水だ。これはネタ的に飲んでみたかったが、水は十分に足りてるのでわざわざ行かなかった。いつの日か縦走した時に、金玉の水を存分に味わうとしよう。

避難小屋からわずかに登ると大朝日岳の山頂だ。ここまで6時間かかった。標高1870mとは思えない大きな山だった。

下山時にも銀玉水に寄って、これでもかとたっぷり水を飲み、冷たい水で顔を洗った。

行きには巻いた小朝日岳に登り、鳥原山経由で下山する予定なのだが、まずは小朝日岳だ。古寺山側からだと緩やかな丘をわずかに登れば山頂だったのに、大朝日岳側からだと仰ぎ見る急峻な絶壁だ。これは聳える壁だ。こんなん登るのかよ。水分は足りてるとはいえ、暑さにやられて消耗している。この状態でこれを登るのはキツい…。

もしも行きに小朝日岳に寄っていたら、この絶壁を見て鳥原山には向かわずに巻いて下山したかもしれない。だがしかし幸か不幸か残してある。行きも帰りも巻きましたっていうのは恥ずかしいので、意地でも登らなければならない。

登りに取り掛かったが、見ての通りの急登だ。急登地獄だ。今日一番の厳しさだ。ふらふらになりながら登っていると二人組の女性が下ってきたので、思わず日頃は絶対に言わない質問をしてしまった。

まだけっこうありますか?

予想通りの無慈悲な答えが返ってきた。

「だいぶ下ってきたので、まだけっこうありますよ…」

そうですよね、そうですよね、がんばります…。

急登だし暑いし樹林帯で景色は見えないし木々に遮られて風は吹かないし、地獄の登りにどれくらいかかっただろうか、不意に開けた山頂に出た。

小朝日岳の山頂は広場になっていて、遮るものもなくぐるりと視界が開けている。休憩するには最高の場所だ。だが残念なことに日陰がまったく無い。午後の日差しは強烈で、まるで火炙りされてるかのようだ。じっとしてると皮膚が焼かれてチリチリ痛む。あまりの眩しさに目がチカチカする。とてもじゃないが休憩なんてできないので、すぐに鳥原山方面へ向かった。

鳥原山への登山道はここまでと比べると適度に荒れていた。歩きにくい道をよろよろと進む。スピードが出ないのは暑さにやられてへばってるからだけではない。足が非常に痛むのだ。

足が痛むといっても、膝や足首を故障したわけではない。痛いのは股だ。股ズレがひどくてヒリヒリするのだ。ぷよぷよの太ももが登山パンツと擦れて炎症を起こしている。なさけない限りだが、痛いものは痛い。歩くと擦れて痛むのだが、歩かなければ進まない。なるべく擦れないようガニ股で歩くが、それでも擦れるしよちよち歩きで進みも遅い。穏やかな稜線を歩いているのに、股はぜんぜん穏やかではない。

這々の体で鳥原山に着いた。ここはまだ、小朝日岳から古寺までの下山路の3分の1地点だ。まだあと3分の2も残ってるのかと思うと冷や汗が出てくる。

下りなので体力的には楽なはずなのに、股が痛すぎて歩くのがつらい。もうズボンもパンツも脱ぎ捨てて、下半身露出して歩きたくなるが、とても少ないとはいえ他の登山者がいないわけでもないのでやめておく。

あーつらい、股が痛い。歩くと痛いが歩かなくては帰れない。地獄だ。股ズレ地獄だ。

樹林帯の緩やかな下りで、本来なら一気に下れるはずのところをガニマタ歩きで下り続け、CTをやたらとオーバーして夕方暗くなるころに古寺鉱泉へ下山した。

下山して確認した股ズレは、ひどく擦れて赤く擦りむけていた。

2025年7月