門前町の栄枯盛衰 – 坂本

比叡山の東の麓、山と湖の間に坂本の町はある。延暦寺の門前町として賑わい、最盛期の室町時代は人口1万人以上の大都市であった。

下山して最初の町並み、つまり町の最も山側には、立派な石垣を持った家々が並ぶ。これは元々は比叡山での修行を終えて山を降りた僧侶が住んだ里坊だった。

石垣の町並みを過ぎると、古い造りの商家や土塀のある民家の続く町並みとなる。

全国の寺社領から年貢を集め、僧兵を有して武装し、他の寺社とは勢力を争いを繰り広げ、朝廷に対しては強訴しと、やりたい放題に暴れまくった延暦寺も、敵対した織田信長の比叡山焼き討ちによって消滅することとなる。

坂本の繁栄も延暦寺の消滅とともに終わりを迎える。その後、秀吉により僧兵を置かないことを条件にして山門の復興を許されるが、坂本の町がかつての賑わいを取り戻すことはなかった。

緩やかな下り坂が琵琶湖へと続いている。

古い町並みを過ぎると、幹線道路と鉄道線路を超えて琵琶湖へと至る。湖畔から望む往時の坂本は、背後に比叡山を有した壮大な眺めであっただろう。

かつての勇姿を偲ばんとして仰ぎ見たが、小雨降る町は侘しげであった。

山は雨雲で霞んでいた。

2022年3月