The Way to Mt. Hakusan – 白峰

石川県白山市白峰、霊峰白山の麓の、明治の初めまでは牛首と呼ばれたこの小さな集落は、白山登拝の基地として栄えた。

現代の登山基地は、さらに奥地の市ノ瀬へと移ってしまった。市ノ瀬までは車道が通じ、そこからさらに別当出合まで、車や登山バスで登ることができる。市ノ瀬は登山口としての機能は備えているが集落と呼べる規模ではなく、依然として白山へ向かう最後の集落は白峰だ。しかし現代では、登山のためにここに宿泊する人はほとんどいない。白峰は登山基地としての役割を終えている。

白峰集落のすぐ外側にセンターラインもある立派な車道が通っていて、以前の街道であった集落内の一本道を走る必要もなく、興味がなければまったく気づかずに通り過ぎてしまうような小さな町である。

登拝の基地としての賑わいはなくなったが、いまでも観光地としてそこそこ集客はあるようだ。宿泊施設の他に、お土産屋や温泉も営業している。重要伝統的建造物群保存地区に指定されたこともあってか、整備された綺麗な町並みを維持していた。

冬は雪で閉ざされるような豪雪地帯であるため、二階建て以上の建物が多い。縦長の窓も雪対策なのだろう。屋根に梯子をかけている家も多かった。

この地は、白山利権も絡むため所領争いが絶えず、加賀藩と越前藩の間で白峰の帰属を巡っての争いがしばしばあった。そのため江戸時代には白峰は天領とされ、それまでこの地を納めていた加藤氏は追放されて、新たに山岸氏が庄屋として白峰を納めることとなった。その山岸氏の屋敷が白峰集落の中に残っている。お白州や牢屋もあったというこの屋敷が、隔絶されたこの地の事実上の領主の館であった。

いまでは白山市の所有するこの館に、数年前まで山岸氏の子孫が住んでいた。館の痛みが激しく、修復する余裕もないため白山市に寄贈されたそうだ。世が世なら第何十代だかの領主であった館の最後の主人は、いまでも白峰に居を構えていて、観光客相手の食堂を営んでいるらしい。天領の領主は明治維新を経て、長い年月をかけ、一般人となってしまった。

中世から続く信仰と観光の町は、歴史に揉まれ姿を変えて現代を生き抜いている。