針ノ木サーキット顛末記 – 蓮華岳 / 針ノ木岳

登りがキツい。稜線まではひたすら登りだ。テント装備に二日分の食料と水を詰め込んだザックはずしりと重い。

ペースが上がらず、ゆっくり一歩一歩登っていく。

針ノ木小屋に着いたのは午前10時。扇沢から5時間、まあこんなもんだろう。

まだ10時なのに小屋前のテント場はすでにいっぱいで、さらに10分ほど針ノ木方面に登ってテントを張った。こちらの方が眺めは良いが、どこに張ってもだいたい斜めである。

荷物は重く急登続きだったとはいえ、たった5時間でこんなに疲れるとはと残念な気持ちでテントに入り、少し眠った。

13時過ぎに目を覚まし、昼ごはんを食べると、夕飯まですることもない。

ちょっくら蓮華岳まで行ってくるか。ガスも切れて青空も見えてきそうだしな。明日は長丁場なので、登るなら今日が良い。

針ノ木小屋からすぐ近くに見えていたピークはまったくのニセピークだった。あそこまでならすぐだなと登ってきたが、まだ先があった。まあ、そうだろう、あれじゃ近すぎるもんなと次のピークに登ると、そこもニセピークだった。なんだよ、まだ先があるのかよ。

次もその次もニセピークをやり過ごし、ようやく祠のあるピークが見えてきた。やれやれ、あそこが山頂か。

最後の登りを登り切ると、なんともうひとつ先にピークがあった。ここまで登った人は誰もがみな思うだろう、まだあるのかよと

時間はたっぷりあるので、帰り道の途中でコマクサ群生地を眺めながら寝転んで、のんびり午後を過ごしてから針ノ木小屋にもどった。

二日目は夜明け前から行動開始した。稜線をぐるっと歩き、種池山荘から下山する。

天気は上々、良い日に合わせて来たのだからな。

厳つい針ノ木岳を越えて、スバリ岳へ向かう。

森林限界を超えた、アルプスらしい稜線が続く。ゴツゴツした岩肌が険しくも美しい。

前方の稜線は爺ヶ岳から鹿島槍、そして後立山へと続いていく。左手には黒部湖と、その向こうは立山に剱だ。

裏銀座に槍穂高に、北アルプスの良いところがみんな見えている。最高だな。

調子良く浮かれて歩いていたが、そんな時にこそ事故は起きる。岩場を下っているときに右足が岩に挟まり、足を取られて転倒してしまった。咄嗟に受け身の体制を取ったので、顔面から岩に叩きつけられることはなかったが、腰を強打し、岩に挟まった右足首をひどく捻った。

足を固定されて体を捻ったまま逆さまになり、そのままでは起き上がれない。ザックを体から外し、ゆっくりと体制を変えてから立ち上がる。

うん、大丈夫、とりあえずどこも折れてはいない。岩に打ちつけた腰は痛むが、歩くのにはそれほど支障はなさそうだ。それよりも足首だ。折れてはいないが、力を加えるとひどく痛む。果たしてこの状態で歩き切ることができるだろうか。

ここは周回コースの最奥部だ。進むにせよ引き返すにせよ、相当の距離を歩かなくてはならない。引き返す方が若干距離は短そうだったが、どうせ長丁場なんだし、たいして変わらないならと先へ進むことにした。

興奮しているので、痛みは感じにくい。登りなら足首も腰もそれほど気になることもなく、周囲の景色を眺める余裕さえあった。しかし下りはいけない、下りになると右足首が痛い。

それでもなんとか騙し騙し、赤沢岳と鳴沢岳を超えて、新越山荘まで来た。

ここでペットボトルの飲料を補給した。日差しは強く暑さは厳しい。脱水気味でふらふらしていたのも、転倒の原因のひとつに違いない。

さて、まだまだ先は長い。アップダウンも多い。

新越山荘の後も、いくつかのピークを超え、最後の登りを登って種池山荘に到着したのは1340分、実に出発の9時間後であった。

予定よりだいぶ遅れているが、ここまで来れば後は下るだけだ。

柏原新道は一度登ったことがある。それほど大変だった記憶は無い。ゆっくり下ればすぐだろう。そんな風に考えていた。

しかし足首の状態は良くはない。下りが続くということは、ずっと足首が痛むということでもある。アドレナリンも切れてきたようだ。強打した腰にザックの重みが堪える。

これは困った。困ったが下りるしかない。ゆっくりよろよろと下っていく。

足を引きずり、よれよれになって下る。足も腰も辛くなってきて、頻繁に座り込んで休息せねばならない。何人もの登山者が訝しげな視線でこちらを見つつ抜かしていった。

柏原新道は長かった。いや、長い。ほんと長い。もうほんとかんべんしてくれ。どんだけ歩いたら下山できるんだ。やっと扇沢が見えたが、まだあんな下かよ

これほど下山が長く感じたこともなかった。

コースタイムを大幅にオーバーして、1740分にようやく舗装路に出た。

やり切った感よりも、ホッとした気持ちの方が強かった。

2023年7月