三連休三百名山三連登 三登目 – 八溝山

ノープランで始まった三連休だったが、プランらしいものがあったとすれば、次の二点である。

1.なるべく遠くの、普段なら行きづらい山域に行く
2.最終日は早めに下山できる山にしておく

とりあえず1は達成した。あとは2だ。初日、二日目と登ったのがたまたま三百名山の山だったので、最終日も三百名山にしてみよう。これらすべての条件を満たす都合のいい山なんて…あった。

というわけで、茨城県の八溝山へ向かった。これで栃木福島茨城の三県で山登りすることにもなる。

茨城県の山間部は、自宅からは実に行きにくい場所である。距離的には北アルプスへ行くのと変わらないし、関東平野を突っ切るので渋滞にも巻き込まれる。そして残念なことに、そうまでしても登りたいと思える山が見当たらない。だけど、こんな機会に寄り道するにはちょうどいい。

八溝山は、どうやら山頂まで車で行けるようだったが、それはいくらなんでもあんまりだ。しかし麓から登るとどれくらい時間がかかるかわからない。そこで中途半端に日和って、中腹の日輪寺に車を停めた。

舗装路もあるし、複数の山道があってよくわからないが、とにかく上へと登ってみる。

朝日を浴びて快適に登っていく。ああ、気持ちいい山歩きだなと進んでいくと、不意に舗装路に出た。舗装路を渡ると八溝嶽神社だ。神社の裏手が山頂である。えっ、もう着いちゃった? いくら短い時間で登れる山へといっても、これはさすがに短か過ぎた。ここまで30分もかかっていない。まあ、登ってきちゃったのでしかたない。いまさら麓からやり直すわけにもいかない。

山頂の八溝嶽神社は、まるで里の神社のように手入れされていた。

山頂に神社のある山はけっこうあるが、いまでも頻繁に人の手が入っているものは多くはない。だいたいは朽ちるに任せて放置されている。本尊を麓の社へ移してしまい、集落の人々から顧みられなくなったものもある。過疎化と高齢化がそうさせるのだ。もはや山を登って参拝するような時代ではない。

その点、山頂まで舗装路が通じていて、だれでも車で登ってこれる山は違う。これからはますます、こういった場所以外の社は放棄されていくのだろう。過疎地の集落の多くが、今後十年ほどで消滅しそうな状況である。すでに廃村となってしまった集落も多い。日本という国の、明治維新でも太平洋戦争でも変わらなかったひとつの大きな流れが、いままさに終焉を迎えようとしているのかもしれない。

山頂には、この場にそぐわない建築物もあった。コンクリート製のお城だ。なぜこんなものを作ったのかと訝しんだが、お城は展望台であった。山頂は樹林に囲まれて眺めがよくないので、これに登って眺めろということか。

自由に入れるようになっていたが、入口には入場券売り場があった。もちろん誰もおらず、長らく使われてもなさそうだ。清掃用具もあったが、最近清掃した形跡はない。

おそらく高度経済成長期の遺物であろうこの展望台も、こうして放棄されていくのだろう。

下山は、せめてもの抵抗で登ってきたのとは別のルートで下り、少々遠回りして駐車場にもどったが、それでもまだ朝の8時半だった。あとは東京の西の端まで帰るだけだ。まっすぐ帰っても6時間はかかる、途中のどこかで寄り道してお昼ごはんを食べていこう。

いつもの三連休なら二泊三日で縦走してるところだが、こうして毎日下山してどこかのお店で食事をとるのはメリハリがあってこれはこれで悪くない。なんだか旅をしてる気分にもなる。三日間ずっと山に入っていると、それが長い一日だったような錯覚に陥る。それはそれで充実した時間であるが、今回は三日間を楽しんだ。

人生は楽しい。何回でもやり直したいくらい楽しい。歩きながらニヤニヤして、すれ違う人に指摘されるくらい楽しい。出かけても楽しいし、家にいたって楽しい。明日から仕事だけど、それもまた楽しい。どこかのだれかが楽しんでる姿を見るのも楽しい。

Enjoy !

2020年11月