尾瀬の奥地へ 後編 – 黒岩山

飲めるだけ水を飲み、3リットルめいっぱいに補給した。この先、尾瀬沼までの間に水場はもう一ヶ所あるが、そこがもし枯れていても、節約して使えばなんとかなるだろう。

それにしても暑過ぎる。

いっとき下がった体温も、歩き始めるとすぐに上昇し、とめどなく汗が流れ落ちる。灼熱はいっこうに和らぐ気配がない。倒木はいっそう激しくなり、もはや登山道の体をなしていない。

黒岩山への分岐にたどり着いたのは出発から9時間後、CTからは1時間ほど遅れている。鬼怒沼湿原までは順調だったので、朦朧として歩いてた間にだいぶ時間をロスしたようだ。

分岐にザックをデポして、黒岩山の山頂へ向かった。山頂をぐるっと回り込んで登るため、まあまあ距離がある。歩く人も少ないのだろう、軽く藪漕ぎ状態だ。

分岐にザックがあったので、だれか行ってるのはわかっていたが、途中で鬼怒沼山以降で初めての登山者に遭遇した。こんなところにひとりで来るのは、ちょっと変わった人に違いない。

自分とは反対周りで尾瀬沼方面から歩いて来たらしい。お互い最も関心のある水場の情報を交換する。この先の水場もちょろちょろではあるが出てるとのことで、これで安心して水分補給ができる。あとは幕営適地の情報交換だ。すでに今日中にゴールできないのは、お互いに暗黙の了解である。

黒岩山は、この縦走路中で唯一の展望のある山頂だった。近隣の名のある山はだいたい見えている。

尾瀬の奥地の山をゆっくり堪能したいところだが、なにせ虫が酷かった。顔の周囲を無数の虫が飛び回っている。時間が経つにつれて、その数はどんどん増えていく。

たまらず退散したが、細かい羽虫がまとわりついて離れない。追い払っても追い払ってもキリがない。

分岐から先は、驚くほど歩きやすくなった。倒木ももう無い。ここまでがこれだと、さっきのソロおじさんは今ごろ倒木に苦戦してるだろう。

赤安清水に到着したのは17時少し前だった。今日はここまでにする。水を補給して万全である。

水場が近いからか、ここも虫が多い。ひどく多い。黒岩山よりもっと多い。タオルを振り回しながらテントを設営して、急いで逃げ込んだ。これではテントの外へ出られない。ずいぶん刺されて、体のあちこちが痒い。

なかなかに不快な一夜であった。

翌日は1時間ほど歩いて小淵沢田代まで行くと、登山者の姿を見かけるようになった。

ここはもういわゆる「尾瀬」である。

尾瀬沼に降りたら、いきなりの場違い感に唖然となった。街から来れば自然の中にいるように感じるかもしれないが、今日の自分の目には完全な観光地だ。キラキラし過ぎて目を合わせられない。ここには、まとわりつく虫もいない。

昨日の濃密な一日を思い出しつつ、尾瀬沼の畔に腰掛けて、朝ごはん代わりのスナック菓子を食べた。

2022年7月