江戸時代の参詣道 – 根本山

群馬と栃木の県境に位置する根本山、両県それぞれの百名山であり、関東百名山にも選定されているものの、いまいちというか、ほとんど知名度はない。

歩き出すとすぐに道は二手に分かれている。尾根コースと沢コースだ。沢コースは荒れ気味らしく、圧倒的に尾根コースが簡単そうである。尾根コースで楽々登山のつもりだったが、沢コースの入口で、やっぱりこっちだなと思い直した。

沢コース入口の案内板によると、沢を詰めていった先の根本山神社は、江戸時代には参詣者で賑わい、ガイドブックまで出版されていたという。沢筋には距離を示す丁石や石灯篭がいまでも残っている。つまりはこっちが元々のメインルートなのである。

山を登るなら、その山を最大限に楽しめるコースで登りたい。それに危険だといっても、江戸時代人が登れて現代装備の登山者が登れないわけがない。ここは迷わず沢コースを選択だ。

適度に整備されていた沢沿いの道は、次第に自然のままの沢筋になってきた。細かい徒渉を何度も繰り返す。

参拝者で賑わったのも今は昔、最短距離で簡単に登頂したい現代人は、みんな尾根を歩いていく。沢沿いに点々とする丁石や石燈籠が、往時の賑わいを偲ばせて物悲しい。

沢を詰めていくと、男坂と女坂の分岐に着いた。男坂の方は突破できるのかどうか定かではなかったし、脅し文句の書かれた看板もあったので、ここは大人しく女坂を選択した。

女坂を登ってすぐに、巨大な鉄の梯子がある。こんな重そうな物を、こんな山の中までよく運んできたなと驚くが、この梯子は江戸時代にはすでにあったそうだ。

江戸時代の梯子に全体重を預けるのはちょっと頼りなかったが、意外と安定していてなんなく登ることができた。

根本山神社は、よくもまあこんなところに建てたものだと呆れるほどの険しい場所にあった。

傾斜のあるヤセ尾根上にあり、左右は切れ落ちた崖である。こちらを向いているのは神社の側面で、正面の拝所は空中に飛び出した木製のベランダだ。これは崩れかかっていて、さすがに立入禁止になっており、側面に開けられた穴から参拝するようにしてあった。

これで終わりではない。この後はほぼ垂直の岩を鎖に捕まって攀じ登ることになる。

登った先が奥社だった。

奥社を過ぎると道はなだらかになり、尾根コースに合流して長閑で平和な山歩きとなった。

根本山の後は十二山、熊鷹山、丸岩岳と縦走した。それぞれ歴史あり展望ありルートファインディングありの楽しい山だった。

丸岩岳からは林道へ降りて、不死熊橋の登山口へもどった。

2021年11月