父不見山

父不見山と書いて「ててみえずやま」と読む。漢文訓読調の無理やり感のある山名だ。

こんな名前の山だから、きっと謂れがあるのだろうと思っていたら、ご丁寧にも山頂に案内板が立てられていた。

そこには、平将門の遺児が、父を見届けることができず嘆いたことに由来すると記されていた。

なるほど、奥秩父に広まる将門伝説は、この奥秩父最果ての地にまで届いていたのだな。そんな感慨に耽る間もなく、続けて別の由来も紹介されていた。

桐ノ城の城主が家臣とともに都の戦に向かったが、いつまで待っても帰らぬので、妻子が父が帰ってくるはずの山を眺めて呟いたことに由来すると。

こちらは山を越えた群馬県側の見解である。将門伝説はもちろん埼玉県側の見解だ。同じ山の異なる由縁を両論併記しているのは無用の争いを招かないようにであろうか。

どちらが正しいかを詮索するのはナンセンスだ。そもそも山を隔てた両側で、もともと山の名前が同じであったかどうかも定かではない。ひとつの山に、地域によって異なる名前が付いている事例は少なくない。それに、現代の山名が定着したのは予想外に最近のことである場合も多い。富士山がいつから富士山になったかを思い出してみればよくわかる。

そんなことを考えながら山頂を後にして、もうひとつのピークへ向かった。長久保ノ頭という名のこちらのピークのほうが19m標高が高い。

しばらく休んで朝ごはんを食べていたが、虫の襲来が激しくて早々に退散した。

ジメジメして蒸し暑い。雨が降ってくる前に下山しよう。

2020年9月