艱難と逡巡の日向八丁尾根
キツい…。これは…たどり着けないかもしれない…。
日向八丁尾根で甲斐駒ヶ岳へ。何年も前から心にあったルートにようやく挑戦しているというのに…。
尾白川渓谷から日向山を超えて、大岩山への長い長い樹林帯を登る。まだ3分の1も来ていない。まだあと1000m以上も高度を上げなければならない。
荷物の重さが体力の消耗に拍車をかける。
軽い荷物で日帰りも考えたが、自分のスピードでは、暗いうちから登り始めても下山は暗くなってしまうだろう。それに好天が二日間続くというのに、一日で歩き切ってしまうのももったいない。そう考えて、一泊できる装備を担いできた。食糧に調理器具、シュラフやマットやツェルトが増えたため、いつもよりかなり重い荷物になっている。この重さでここを登るのは、やはりキツい。
気温は高く湿度も高く、吹き出す汗がぽたぼた落ちる。
水がもたないな…。
ハイドレーションに2ℓと予備で500mlの水を背負っているが、この暑さでは、節約して飲んでも六合目石室の水場までギリギリだろう。
無理かな…。ここでギブアップするかな…。
汗は容赦なくしたたり落ちる。ハイドレーションの冷たい水がおいしくて、一気に全て飲んでしまいたい誘惑に駆られる。
もうやめてしまおうかという気持ちが浮かんでは消え、浮かんでは消えていく。
迷いながら登っていては、足取りはいっそう重くなり、さらに予定時間から遅れていく。
相変わらず気温も湿度も高く、体力をどんどん削られていく。
いまここでギブアップしても、またいつか挑戦するはずだ。そのいつかが、こんな条件のいい日に当たる可能性は高くはない。下山してどうする?すごすごと帰宅して、晴天の週末を寝て過ごすのか?今日がキツくても、次回もキツいのに変わりはない。行くしかないだろ。キツいからって撤退してたら山なんか登れない。山は、いつだってキツいのだから。
時間がかかっても六合目石室まで行けるはずだ。それだけの体力はある。大切に飲めば水ももつ。石室まで行けば、明日はあとわずかを登るだけだ。なにを迷っているんだよ。行くしかないだろ。明日は最高の朝が約束されているんだぜ。
迷いながら登っている間にガスが出てきて、ときおり見える甲斐駒の頂も隠れてしまっていた。しかし、行くと決めたら、しだいにガスも薄れてきた。
頼むぜ。行くから。最高の景色を見せてくれ。そこまで登る力をくれ。
大岩山にたどり着き、ロープクサリハシゴが連続する絶壁を100mほど下る。もう迷いはない。ここまで来たらもどるのもたいへんだ。
こちら側から眺める甲斐駒ヶ岳の姿は新鮮だ。というか、かなりダサい。ここは、甲斐駒が最もダサく見える展望所だな。
対照的に、鋸岳はめちゃくちゃかっこよく見える。近いうちにあれも登らなきゃ。
大岩山のコルを越え、烏帽子岳への長い急登をひたすら登る。ようやく森林限界を超えてきて、気温も心なしか下がったようだ。
岩場の急登をよじ登るようにして烏帽子岳の山頂へ。ここまで来れば、六合目石室はもうすぐだ。急な登りもここで終わる。
甲斐駒に鋸岳。正面には仙丈ヶ岳。北岳に間ノ岳に塩見や悪沢も見えている。ぐるっと全て南アルプスだ。
未知を求めて遠く旅する者に、神はそのパラダイスへの扉を開く。
そんな言葉が脳裏に浮かんだ。