九月の五日間 その5 – 光岳
光岳の山頂から10分ほど先へ進むと、光石という大岩がある。
旅の終着点は、その光石の上と決めてある。
山頂を越えて樹林帯を進んでいくと、しだいに周りの木々が薄くなり、やがて目の前に大きな岩が現れた。
あそこだ。長かった旅も、あそこでついにおしまいだ。
岩の上に登ると、さらに南の山々が広がっていた。
目の前にあるのが池口岳、ここからあそこまで縦走できる。ここは、いつかは歩く道だろう。
それ以外の深南部の山々は、どれがどれなのかさっぱりわからなかった。しかしこれも、いつかは足を踏み入れる地であるはずだ。
終わっちゃったな。
光石の上に寝そべり、高い空を見上げた。
光石に来る前に光岳の山頂を通過した。
樹林帯の中の展望のない山頂であったが、ここで重要なのは展望ではない。山頂を囲っている木々である。
ひとつひとつ丹念に見ていったが、山名プレートらしきものは発見できなかった。
まあそうだろう。何十年も前に掛けられた木製の板である。
前世紀の遺物は山の藻屑と消え去ったようだ。
無い物を無いと確認するのも悪くない。
さて、ここからは帰り道。Uターンして来た道をもどろう。
登りで苦戦したガレ沢を今度は下っていく。
ガレ沢はあまり好きではない。歩きにくいし、石が動くと転ぶこともある。慎重かつスピーディーに下っていく。
下りきったところからは易老岳への登りが始まる。
その登りの途中で明らかにペースが落ちてきた。
チアの実入りの水を何度も飲むが、一向にペースが上がってこない。
ふぅ。ここまでの縦走で筋肉にはすっかり疲労が溜まっているようだ。
なんとか精神力で持ちこたえてきたが、光石でゴールしたとたん、気持ちも切れてしまったらしい。
こうなると、いくら盛り上げようとしても、盛り上がるものでもない。
ここまでずっと充実感でいっばいだが、それはいま、どちらかというとやり切った感に近いものに変わっている。
坂の途中で立ち止まり、ザックを下ろした。
しかたない。たまには使うか。
いつもザックに挿しっぱなしのストックを抜いた。
雪山以外では、ストックは使わないほうがいいと思っている。
世界トレッキング協会だかも、六十歳以下は雪山以外ではストックを使うべきでないという声明をだしている。
奥多摩山岳救助隊の元副隊長金邦夫さんも、テント装備で荷物が大きくて重いならしかたないときもあるが、そうでないならストックなんか使っちゃいかんと講演でおっしゃっていた。
このことが国内であまり言われないのは、業界のビジネス的な問題であろう。
ストックを使えば、確かに楽だ。
でもそれは、足の筋肉を鍛える機会を失うことにもなる。
下りだけ使う人も多いが、下りこそ足の筋力とバランス力を養うに重要である。
ストックなど使う必要がないように日頃からトレーニングを積んでおくべきという、しごく真っ当な意見は、ビジネス優先の登山業界と楽して登りたい登山者の両方から無視されている。
鍛え抜かれた岳人が、いつも以上にスピードアップしたい、より遠くまで歩きたいなどの理由で使うのはありだと思う。
問題なのは、日頃のトレーニングを怠っておきながら、本番では楽をしようとする遭難予備軍と、それを戒めることのない登山業界である。
いま流行のUL装備にも、これと全く同じ図式が当てはまる。
体力は「ある」ものではなく「得る」ものなのだから。
しかるに今回の自分である。
確かにここまで、普段の山行よりずっとがんばってきたが、トレーニング不足だと叱られても文句は言えない。
まだじゅうぶん歩けるし、ストックなしでも帰れはするが、なんというかもう終わった気分なので、なかなか足が上がらないのだ。多分に精神的な問題ではある。
まあ、いちおういつも持ってきてても使うことはないので、たまには使ってもいいでしょう。年に一回か二回のことなのだし。
ようやくにして易老岳まで登り切ったが、そこから仁田岳分岐までの登りは、さらにずっと厳しかった。
なんとも手強い登り返し。この縦走中で最もキツかったのはここである。普段ならサラッと登れる程度の登りだろうに。
まったく体というのは心の影響を受けすぎる。
ここを登れば、あとは下りしかない。それだけを考えてじわじわと登った。
つらく長かった登りもようやくにして終わり、茶臼岳の山頂までもどってきた。
早朝はすっきり晴れていた空も、いまはガスで真っ白である。
ここがほんとに最後の山頂。
下りてしまうのが惜しくて、石の上に胡座を組んで座っていた。
小屋から登ってきたらしき登山者たちは、ガスガスの山頂にわずかの間だけ立ち止まり、また下っていった。
山頂にはだれもいない。静かな時が流れていく。
やがて、周りを真っ白にしていたガスが晴れ、日の光が射してきた。
肉体の境界は曖昧となり、周囲の自然に溶け出していく。
時間の観念は薄れ、一瞬は永遠となり、永遠は一瞬となる。
意識は深く沈み込み、宇宙と一体となった時が過ぎていく。
古来、聖人が修行し悟りを開くのは、高い山の上と決まっている。
神々の住処も高山の頂だ。これは比喩的な表現ではないだろう。
山に登ること自体が瞑想だともいう。
山というのは、そういう場所なのである。
どれくらいの時が過ぎたのだろう。現実世界へもどってくると、茶臼小屋を目指して下り始めた。
今夜のお楽しみも二本で500円のビールだ。
ラッキーなことに、最後の二本にありつくことができた。売り切れてたら、ずいぶんがっかりしたことだろう。
テントにもどり、今日とこれまでの山行を振り返りつつビールを堪能していると、テント泊登山者におでんがふるまわれた。
小屋閉めで余る食材なのだろうが、こういうのはたいてい小屋泊の人たちへだけなものだ。
テント泊登山者にも優しい茶臼小屋は、あの聖平小屋と同じく井川観光協会の運営である。
おでんの中身はタケノコにコンニャク。ナルトが入ってるとこが静岡を感じさせる。魚の出汁の効いた、黒っぽい汁のおでんである。
これがなんともいえなくおいしかった。この山行中で食べた最もおいしい食べ物は、このおでんだった。
ものを食べるというのは、突き詰めていくと、口や舌でなく魂が食べるのである。だから、真心のこもった食べ物は、なんともいえない味わいがある。
最後の夜、夢を見た。
知らず知らずのうちに囚われていた緊張感から解放されたからだろうか、今回の縦走中で初めて見た夢だ。
それは、仕事の契約がようやくうまくいきホッとしているという、なんともリアルで日常的な夢であった。日ごろ見るのは荒唐無稽でサイケデリックな夢ばかりなのに…。
近づいてきたな…そう思わせる夢であった。
五日目、最終日。
この日は小屋から下るだけ。名残惜しいが、そうも言ってられない。それに五日ぶりに風呂に入って、そろそろ着替えもしたい。
いちおう念のためにストックを突いて下山することにした。
筋肉が疲労してるはずだから、下りで体を支えきれず転倒してしまうかもしれない。最後の最後で怪我はしたくない。転ばぬ先の杖である。
ひと晩寝て回復したのか、ストックのおかげか、最終日効果なのか、快調にぐんぐん下っていく。
あっというまに横窪沢小屋まで下り、ウソッコ沢小屋を通り過ぎ、ヤレヤレ峠を越えて、畑薙の大吊橋を渡ってしまった。
せっかくなのでザックを置いて、大吊橋をもう一往復してから、駐車場へ続く林道を下った。
長いようであっというまの五日間が終わろうとしている。
五日間…数えているので日数はわかるが、不思議と実感がない。
山から下りてくるといつも、何日山の中にいようとも、それがまるで長い一日だったかのような錯覚に陥る。
まだ午前中だ。これなら今日中に家族のペットを迎えにいける。
最後まで完ぺきに計画通りである。
全てが味方してくれた山旅が終る。
ありがとう南アルプス。
また来る時にも笑っておくれ。