山の名前が書いてある棒 – 大谷嶺 / 行田山
日本三大崩れのひとつ、大谷崩れ。
山伏から八紘嶺への稜線を歩くと、中間地点で大谷崩れを超えます。
崩壊地の縁を歩きますが、極端にヤセた部分もなく、崩壊しているのとは反対側に巻くところもあって、それほど危険は感じません。
下を覗くと、流出した土砂が谷を埋めている様子がわかります。
大谷崩れの源頭が大谷崩ノ頭です。稜線上のピークでもあり、大谷嶺とも呼ばれます。
大谷嶺または大谷崩ノ頭というのは静岡県側での呼び名で、山梨県側では行田山と呼ばれています。
山の名前というのは、特定の誰かが、この山は◯◯山と命名します!と宣言して確定させたものではなく(そういう山もあるにはありますが)、地域の人々が長い年月のあいだ、呼び習わしてきた名称がいまに続いているものです。
昔の一般人が普通に呼んでいた名前ですから、それほど凝ったものは付けられていません。見た目そのままだったりします。それほどバリエーションもありませんから、全国的に同じ名前の山も多く存在します。
それぞれの地域でそれぞれ勝手に呼んでいた名前ですから、同じ山でも、山のこちら側とあちら側では全く別の山名が付いていることもよくあります。
ひとつの山に複数の山名では混乱するので、登山界ではなんとなく代表的なのが決まってたりもしていますが、いまだに地域によって異なる呼び名が残っている山は多いです。
このことが微妙な軋轢を生んでいるケースもあるようです。
山梨県側が建てたと思われる、行田山と書かれた山頂の太い山名標柱は、行田の文字が削られ、横にマジックで大谷嶺と書かれてました。気づきませんでしたが、近くの石碑の行田の文字も削られてるらしいです。
対して、静岡県側が建てたであろう、大谷嶺という山名標柱は、ひと文字づつが円形の丸い木に書かれ、それが団子のように連らなってるタイプのものでしたが、ボコボコに壊されてました。
あちら側の呼び名は認めない、という強固な姿勢ですね…。山梨県側の標柱が不必要に太かったのも、破壊工作対策だったのでしょうか。
まぁ、市町村合併時の呼称でもめて、歴史も謂れもよくわからない平仮名地名になったりもしていますから、地方のご高齢の方々の地域間の軋轢というのは、想像以上に深いものなのかもしれません…。
しかしところで、山の名称うんぬんは置いといて、あの山頂にある、なんとか山とかなんとか岳とか書いてある棒、あれってそんなに必要ですか?
山頂の真ん中や見晴らしのいい一等地に、あんな無粋な棒が建ってることにイラっとします。邪魔だよお前どけよ!と言いたくもなります。
あれがないと山の名前がわからないとかいう人もいますが、名前を表示するだけなら、あんなに堂々と建ってる必要はないでしょう。せめて、小さなプレートを立ち木にひっそりかける程度でじゅうぶんなはずです。
いや、表示がないとどこの山頂かわからないというのでは、そもそも山に登るのは控えたほうがいいのではとも思います。
それなのに、あの棒をありがたがる登山者があまりに多いことが不思議でなりません。
だってあれ、山の名前が書いてあるただの棒でしょ?
棒といっしょに写真に写って嬉しいのでしょうか?
それよりも、周りの自然や雄大な展望と写ったほうがよくないですか?
自然物しか認めないというわけではありません。
歴史のある祠や信仰心の現れの石仏などがあれば、あぁ日本の山だなあって感じます。手も合わせるし、厳かな気持ちにもなります。
でもあの棒は、なんの歴史的価値も芸術的価値もない、山の名前が書いてあるただの棒ですよ?
山の名前の書いてある棒といっしょじゃないと、山頂写真としての証拠価値がなくなるのでしょうか?
山の名前がどうしても必要なら、山名を書いた紙でも持って写ればいいのに…と思います。
以前に茅ヶ岳の山頂で、建てても建てても標柱が壊されるという事件がありました。
まぁ確かに、せっかく建てたものを勝手に壊すというのは、あまり褒められたことではありません。でも、その気持ちはわかる気がします。
静岡山梨の両県民のみなさまも、お互いに相手の呼称を認めないという、狭い範囲の小さな争いから脱却し、全国的な山名標柱廃止運動などしていただけたら…よろしいのではないでしょうか。