山蛭戦記 2016 – 高ドッキョウ / 貫ヶ岳   

足首にチクっと刺す軽い刺激。

針の先で軽く触れたかのような、気づくか気づかないか程度の微かな痛みだ。しかし、この感覚には覚えがある。過敏にもなっている。

まさか…。きたか…。

登山靴に指を突っ込み確認する。むにゅっとした弾力のある不愉快な触感。

やはり…。

雨上がりの曇り空。水蒸気をたっぷり含んだ重い空気が体にまとわりつく。暑く、そして蒸す。人間にとっては不快な気候だが、奴らの出現には絶好のコンディションだ。

しまった。うっかりしてた…。

天気もよくないので、登ったことのない低山を…という理由で安易に選択してしまった。窮地に陥って初めて思い出す、高ドッキョウが山ビルの山だったことを。

樽峠から山頂へ向かってすぐに、奴らの襲撃を受けた。それから一時間足らずのあいだに何十匹も遭遇している。ここもずいぶんと密度が濃いようだ。

地面に目をやると、必死の動きでこちらへ向かってくる奴らの姿が目に入る。その姿は普通の生き物には見えない。奴らには生命を感じない。それはまるで、熱源と二酸化炭素を感知して真っ直ぐに向かってくる機械のようである。

靴に指を入れて侵入してきた奴らを掻き出す。足首に吸い付いていたのを強引に引き剥がすと、今度は指に吸い付いて離れない。全く厄介な奴らだ。殺意しかわかない。

そうして休むことなく足早に高ドッキョウの山頂まで登った。山頂は開けているおかげでか、ヒルはあまりいなさそうだ。しかし油断はできない。腰を下ろして背中にでも侵入されたら一大事である。立ったままで弁当を食べ、休憩もそこそこに下山を開始した。

その後も絶えることのない山ビルとの戦いに耐え、樽峠までもどってきた。

計画ではここから高ドッキョウとは反対方向へ進み、貫ヶ岳まで行ってもどってくるつもりだった。しかし、山ビルのおかげですっかり心が折れてしまった。天気もあまり良くはない。もう下山しようかという気持ちになってきた。でも、まだ時間も早いし、こんな山梨県の一番端っこまでわざわざ来たんだし、それにこの先は山ビルもいないかもしれないし…と思い直し、予定通り貫ヶ岳へ向かうことにした。

最初の登りを登り始めてすぐに後悔した。傾斜はキツく、山ビルは非常に濃い。

次から次へと山ビルが現れ、靴に張り付き、足に侵入して皮膚に吸い付く。数歩進むごとに体を曲げて奴らを排除しなくてはならない。山ビルとの戦いにすっかり消耗して、平治の段への登りを登った。

登り切った展望台には簡素なベンチが設えられていた。

やった…。やっと座れる。

よく確認して奴らがいないことを確かめてから、この日初めて腰を下ろして休憩した。靴と靴下を脱ぎ、皮膚に張り付いた山ビルどもを引き剥がしていく。

靴の折れ目などにまだまだ細かい山ビルが潜んでいそうだったが、あまり長く休憩してると奴らに感づかれてしまう。処理も早々にして先へと進むことにした。

その先も、道は比較的穏やかになったが、山ビルは相変わらずだった。そうして挫けそうになりながらも、貫ヶ岳の山頂にたどり着いた。

苦労して来たわりには、展望もないし草が生い茂って藪になってるし、なんとも微妙な山頂であった。

帰り道のベンチで二回目の座って休憩をし、あとは山ビル超密集地帯を抜けて下山するだけというところで、それまでしとしと降りだった雨が、急に激しくなってしまった。

たいした降りではなかったのでレインウエアは着ていなかった。せめて帽子くらいはかぶりたいが、この山ビル密集地帯でザックを下ろすのは危険すぎる。立ち止まるだけでもかなりのリスクだ。しかたないのでずぶ濡れになりながら歩く。気温が高く体の冷える心配はないのが唯一の救いである。

全身ずぶ濡れ、足首はヒルまみれで駐車場までもどってきた。雨はまだ強く降っている。流れる雨水で急な林道が激流の川のようになっていた。林道工事も中止になり、作業員もみな帰ってしまったようだ。

このまま山ビルまみれで車に乗るわけにもいかない。屋根もない駐車場で激しい雨に打たれながら、裸足になって靴の中の山ビルを退治した。そして、だれもいないのでパンツ一丁になり、雨中のお着替えをしてから車に乗り込んだ。

こうして戦いは終わった。

退治した山ビルはかなりの数になるが、雨に打たれ続けたiPhoneは完全にイカれてしまった。今回は引き分けというところだろうか。

これからは常に塩を持ち歩くようにしよう。。