三度目の正直、三度目の英彦山

英彦山に来るのは三度目だ。
いや、正確に言うと、英彦山の駐車場に来るのは三度目だ。

初めて来たのは何年前だろう、深夜に到着して仮眠し、夜明け前に起きて出発しようとしたらカメラがなかった。どれだけ車内を探してもない。カメラバッグごとない。考えられるのは、前夜に食事した熊本の食堂に置き忘れたくらいだ。慌てて車を走らせ、食堂にだれかいそうな時間になってからドキドキしつつ電話すると、カメラは無事に保管されていた。

二度目は二年前のゴールデンウィーク、この時は遠征中ずっと雨に降られてずぶ濡れ登山になり、徒渉で流されてザックに取り付けたカメラとともに水没したりもした。遠征最終日に来た英彦山も朝から大雨で、とても濡れてまで登る気にはなれず、車から降りることなく撤退したのであった。

そして三度目、過去二回は遠征最後の登山予定だったのでやり直しがきかなかったが、今回は満を持して初日に来た。

もはやすっかり見慣れた駐車場から歩き始める。

少し歩くと寂れた土産物屋街だ。

英彦山といえば、信仰を集める一大聖地のイメージだったが、この寂れ具合からすると、あまり賑わってはなさそうだ。

土産物屋街の中心部から石段を登る。石段の両脇には宿坊の跡が段々に並んでいる。

英彦山の宿坊は信者の宿泊施設ではなく、山伏の住居であった。いまではほとんどが敷地跡だけで建物は残ってないが、かつては800もの坊があり、3000人以上の山伏が暮らしていたという。

石段を登り切ると奉幣殿だ。

年末だからなのか、閑散としていた。ここも年明けには、初詣客で賑わうのだろう。

ここからは山道になる。といっても、とても歩きやすく整備されている。

薄っすら積もった雪が、山を白く染めている。

下津宮、中津宮、産霊神社と過ぎて登っていくと、中岳の山頂に到着した。

山頂は、英彦山神宮の上津宮だ。

この中岳の北には北岳、南には南岳と、英彦山には三つの峰がある。

まずは北岳へ向かった。

岩場や雪道もあったが、下って登って30分足らずで北岳に着いた。

三峰にはそれぞれ祭神が当てられている。北岳は、天照大神(アマテラスオオカミ)の子で地神五代の二代目、天忍穗耳尊(アメノオシホミミ)であり、中岳と南岳は、それぞれ伊弉冉尊(イザナミ)、伊弉諾尊(イザナギ)だ。神仏習合時代は権現が祀られていたが、本地仏は北岳が阿弥陀如来、中岳は千手観音、南岳は釈迦如来であった。

主神は北岳に祀られている。北岳が三峰の中で最も格式の高い山だったのだ。標高は北岳1180m、中岳1188m、南岳1199mと、北岳がもっとも低い。

山の格式は標高では測れない。山の高さを数値で表すのは、近代になって西洋から輸入された下品な思想なのである。

明治政府の神仏分離令による廃仏毀釈の嵐は英彦山にも吹き荒れた。数多くの仏像仏具が破壊された。麓のロープウェイ駅にある山伏資料館には、この嵐を逃れたただ一体の仏像が保管されている。

さらにそれから五年後の修験道の禁止令で多くの山伏は還俗することとなり、修験の聖地としての英彦山は完全に衰退してしまうのであった。

当時の山伏は、現在の神職と僧侶を合わせた数の数倍もいて民衆の生活に入り込んでいたため、この勢力を削ごうとした明治政府の思惑があったのはまちがいないだろう。

北岳の山頂は古から禁足地とされていて、それはいまでも続いている。

北岳を後にして中岳へもどり、南岳へと向かった。

南岳からはさらに南へ下る。こちらは荒れた急斜面で、下るのも難儀だが登りに使うと疲れそうだ。

材木岩、大南神社、鬼杉、梵字岩、虚空蔵と寄り道しつつ、駐車場へもどった。

今回のブログ写真はすべてiPhoneで撮っている。理由はカメラがこわれたからだ。出発時にカメラの電源を入れたが、まったく起動しなかった。東京を発つときにはちゃんと動いたというのに。バッテリーを交換してもダメだったので、おそらくカメラ本体の電気系がイカれてしまったのだろう。あれからひと月経ったいまも、まったく起動しないままだ。

初めての英彦山では熊本に置き去りにされ、二度目には水没したカメラが、三度目の英彦山で終わりを迎えた。