インチキ大峰奥駈道 – 八経ヶ岳
大和国を南北に貫く大峰山脈は、畿内という地理的要因もあって古くから信仰を集めた。開山は飛鳥時代の655年と伝えられている。平安時代の和歌や物語にも登場し、中世以降は修験の道場として隆盛した。
吉野から熊野まで大峰山脈を全山縦走する大峰奥駈道は、現在もなお修行の道であるとともに魅力的な登山ルートでもある。いつか歩いてみたいと思いつつ、少なくとも五日は必要なのでなかなかその機会が得られない。セクションハイクでもいいかと妥協しても、山深い地で交通機関も限られているので、縦走すると車の回収が困難だ。とはいえピストンで全山縦走するのは現実的ではない。
どうしたものかと地図を眺めていると、駐車場を表すPマークが目に入った。ん?こんなところに駐車場があるのか?
行者還トンネルを抜けてすぐにあるその駐車場は、他の登山口と比べて標高が高く、1時間で稜線に出られる。そこから2時間半で最高峰の八経ヶ岳だ。これなら余裕で日帰りできるし、ちょっとだけ奥駈道を歩くこともできる。最高峰だけをピストンするのは百名山ハンターみたいで気持ち的に落ち着かないが、いつか歩く大峰奥駈道の下見ということにしておこう。

行者還トンネル西口の駐車場は、百名山に最も近い駐車場だけあって朝早くから車でいっぱいだった。これは登山道もかなり賑わうだろう。
登山口から少し登っただけで、あっさり奥駈道に合流した。稜線は平坦で、縦走路とはいえ楽に歩ける。予想通り登山者は多いものの渋滞するほどではない。
秋の終わりの風景は寒々しく、気温も低く肌寒い。

かつての宿跡や山伏が行場に納めた木札など、ところどころに信仰の痕跡が見られる。やはりここはレジャーの場であると同時に、いまでも生きている修験の道場なのだ。とはいえ近畿圏最高峰であり日本百名山でもある山を有する山域だ。登山道はよく整備されていて、修験者が修行するような荒々しさはない。

平坦な稜線を1時間も歩くと、いよいよ弥山への登りになる。
標高を上げていき、樹林が途切れたところで振り向くと、稜線上の尖った山が目に入った。あれが山上ヶ岳かな。

大峰山脈に大峰山という名の山はないが、大峰山脈の主峰は山上ヶ岳だろう。655年に役小角が開山し山籠りしたのは、この山上ヶ岳だと推測されている。深田久弥も日本百名山の中で、山上ヶ岳が大峰山の代表と見做していいだろうと記している。
日本百名山の大峰山の項は、信仰を集めた大峰山脈全体について書かれているが、その中でも山上ヶ岳に主軸を置いている。実際に深田は洞川温泉から山上ヶ岳に登り、そこから南へ奥駈道を歩いている。山上ヶ岳を後にして大普賢岳、行者還岳と続くこの区間が、縦走路の中で最も険峻といわれていると深田は書いている。
大峰山脈を代表する山も、最も険峻な区間もパスして、平坦な稜線から最高峰をピストンするのだから、いかに今回がインチキ大峰奥駈なのかわかろうというものだ。

弥山には山小屋があり公衆トイレもあり、広々とした平坦地に椅子やテーブルが設えてあるので休憩するにはもってこいの場所だ。
だが、ここはそれだけの場所ではない。弥山というのは須弥山のことである。すなわちスメール山であり、宇宙の中心なのだ。古の人々は、こここそが大峰山脈の中心だと考えたのだろうか。

弥山から少し下って少し登ると、最高峰の八経ヶ岳に到着する。三連休の中日で、曇りがちではあるが登山客で賑わっている。
日本百名山の大峰山の項で八経ヶ岳にふれているのは最後の3行だけだ。八経ヶ岳が大峰山脈の最高峰であり、山上ヶ岳から八経ヶ岳まで歩いて満足したので、さらに南へは向かわずに下山したと記されている。それだけだ。そこまでの4ページで主に山上ヶ岳について語ってきたのに比べて、あまりにあっさりした記述ではないか。
そんな八経ヶ岳だけに登って、はたして日本百名山をひとつ登ったことにしていいのだろうかという疑問が浮かぶ。スタンプラリーのルールとしてはそれでいいのかもしれないが、登山ってそういうことじゃないよねとも思う。
いつか必ず大峰奥駈道を歩こう。そう心に決めて下山した。
2025年11月





