ふるさとの山に登りていうことなし – 伊吹山

東海地方で生まれ育ったぼくにとって、伊吹山を「ふるさとの山」というのは少々無理があるかもしれません。

しかし、真冬の澄んだ青空の下、遠くに見える雪を戴いた白い山容には、手前に並ぶザコ山たちには無い威厳がありました。冷たい北風は「伊吹おろし」と呼ばれていて、人間界に冬の寒さをもたらす山として、その力に畏怖の念も抱いていました。

伊吹山は、近所のザコ山を駆けずり回っていたぼくが、初めて登った日本百名山の山でした。もっとも、当時は日本百名山なるものは全く注目されておらず、そういった情報はずっと大人になってから得たものであります。

登ったのは、もうずいぶん昔の小学校低学年のころです。記憶もおぼろげです。

覚えているのは、
・立派な神社を通って登った。
・登山道が広く平らで、すごく整備されていた。
・なんか丘みたいな山頂だった。
・一日中ガスガスだった。
これくらいです。

そして今回、数十年の時を経て再び、ふるさとの山に登る機会が訪れました。

登山口は全く昭和のままでした。いまではノスタルジックな雰囲気ですが、当時は極々ありふれた光景だったでしょう。登山口の隣りに神社もありました。しかし、なんというかなんとも小さな普通の神社で、記憶の100分の1の規模です。うーん、こんなだったかなあと、首を傾げつつ出発します。

登山道は確かに広く、よく整備されていました。でもこれも記憶では、大人数が横に並んでスキップできるくらいに広くなだらかだったはずです。子供の記憶はオーバーなのでしょうか。それともどこか別の場所と記憶が混じっているのかもしれません。

緩やかな山容のゆったりした登山道を登っていきます。

振り返ると琵琶湖が見えました。小学生時代には、琵琶湖は見えなかったのでしょう。もし見えていたら、そのことを鮮明に覚えてるはず。記憶の風景は、ひたすら真っ白です。あの日は、一日中ずっとガスガスでした。

この日も朝から曇り空で、晴れろ晴れろと念じつつ登ってきました。

登るにつれてガスも薄れ、明るい日の光も差し、青空も広がってきました。周囲の山々も美しく輝いています。

六合目の避難小屋を通過すると、急な登りが始まります。

山頂目指して高度を上げて行くうちに、それまでなんとか見えていた頂が、だんだんと厚い雲に覆われてきました。

あーあ、もしかして山頂はガスガス?

どうやらまた、真っ白な山頂が待っているようです。がっくり気落ちしましたが、とりあえず登り続けます。

山頂に到着しました。

下から見てた通りの真っ白な山頂でした。

山頂には、何軒ものお土産屋さんに公衆トイレまで。どこも冬季閉鎖中でしたが、シーズンは賑わうのでしょう。

こんなだったかな?なんだか記憶と違うなあと思いつつ、広い山頂をうろうろします。

さすがに当時はこれはなかっただろうっていうヤマトタケルの像の向こうには、緩やかにうねる穏やかな山頂が広がっていました。

あー、こんなだった。なんか、こんなだったよ。丘っぽい山頂。

ようやく、記憶の断片と僅かながらも一致する風景に出会えました。

それにしても、伊吹山って標高1377mしかなかったんですね。いつも駆けずり回ってたザコ山よりもだいぶ大きかったはずなのに、全国レベルでは中の下だったとは。

次はいつ来れるかなって考えると、なかなかこの場を去りがたく、帰るきっかけがつかめなくて、寒くて白い山頂にずっととどまっていました。

すると、それまで重い灰色だった空に薄い光が差してきました。周りの景色が輝き始めます。

やがてガスが切れ、青い空がゆっくりと広がっていきます。

もっと広がれ、もっと広がれ。この山頂からの景色を見せてくれ。

雲がなくなりました。

頭上には深い青空。遠くの山並みもよく見えています。

向かい側の立派な山塊は鈴鹿山脈だな。琵琶湖の向こうは丹波だろうか。北側の山並みはどこだろう。東の平野部には、かつて住んでた家がどこかにあるはず。

これこれ、これが見たかったんだ。最後の最後にようやく見ることができました。

青空が広がったのは、ほんのわずかの出来事でした。すぐにまた風景は姿を消し、あたりは白一色に変わりました。

立ち去りがたく、ずるずる留まっていたところへ、ほんの一瞬だけずっと見たかった景色を見せてくれるなんて、山の神様も意地がいいんだか悪いんだか。

よし、下山するか。

長かったひとつの区切りが、ようやく終えられた気がしました。