鶴岡観光散歩
鶴岡には何度か来たことがある。大きな町だがこれといった中心地も繁華街もなく、閑散とした市街地がのんべんだらりと広がっている、それが鶴岡の印象のすべてだった。ところが今回、町を歩いていると観光案内の地図看板を見つけた。
観光?鶴岡に観光するとこなんてあったんだ?という意外な気持ちとともに、地図を参考に町を歩いてみることにした。
お気に入りの割烹のある馴染みの地域から、市内を流れる内川を渡った向こう側が観光の中心地のようだ。確かにいつも訪れるのは、駅前と飲み屋街とその間の住宅地やシャッター商店街だけで、川の向こう側へは行ったことがなかった。
観光の中心は鶴岡城址だ。戊辰戦争で降伏して後に、城は取り壊されて公園になっている。
本丸跡には、藩主の酒井氏を慕う地元の人々により、歴代藩主を祀る荘内神社が創建されている。
鶴岡城址公園の隣には現在の鶴岡市役所がある。昔も今もここが行政の中心地なのだ。
市役所の向かいが到道館、庄内藩の藩校だった建物だ。なんと太っ腹なことに、ここは無料で解放されている。藩校で使用された教材などの展示とともに、庄内藩の歴史を知ることができる。
信州松代から庄内に入部した酒井家の歴代当主は善政を布いて領民に慕われた。幕府により酒井氏の長岡への転封命令が出された時には大規模な反対運動が起こり、結果的に転封命令は撤回されたという。
戊辰戦争では奥羽越列藩同盟の一員として戦い、連戦連勝を収めて新政府軍の侵攻を食い止めたが、周囲の諸藩が降伏したため、庄内藩も降伏することを決めた。戦後は寛大な処置により酒井氏は転封されることなく、領地も保全された。
そんな、地元民以外にはあまり知られてないであろう庄内の歴史を知った。
酒井氏は現在でも鶴岡に居住しているという。鶴岡は今でも「殿様」が住んでいる町なのだ。
殿様が館長を務めているのが到道博物館だ。
鶴岡城址公園の周辺に点在する観光施設はどこも無料で開放されているが、ここだけは有料だ。さぞかし見どころも多いのだろう。敷地内の立派な木造洋館が外からも見える。
残念ながら夕方だったため、入場受付時間を過ぎていた。ここはまたの機会に訪れるとしよう。
木造の洋館には心惹かれるものがある。擬洋風建築と総称されるこれらの建物は、西洋の文明を伝統の技術で実現しようとした創意工夫の表れであり、明治維新の気風と文明開化の象徴である。
現在の鶴岡市役所の地には、朝陽学校という木造洋風建築の学校があった。その模型が到道館に展示されていたが、もし今でも存在していたら実に立派なものだったろう。
観光地図に従って旧城下町を歩く。すでに夕方だからか、そもそも最初からなのか、閉まっている施設も少なからずあった。
そんな中で、住宅地に佇む木造の教会に心を惹きつけられた。閉まってるかなと思いつつ訪ねると、玄関は開いていた。
誰もいない、ひっそりしている。勝手に入っていいものか躊躇したが、自由に見学していいと張り紙があったので、おじゃますることにした。
夕暮れの誰もいない教会にひとり。
クリスチャンではないし、それほど信心深い方でもないが、なんとなく荘厳な心持ちになる。
ずいぶん長い間、佇んでいた。
教会を出ると、すっかり日も暮れていた。
さて、では、聖から俗へ。いつもの飲み屋に出向くとするか。
2025年5月