春の天城山とあの冬の縦走路
登山口から1時間も登れば、最初の山頂、万二郎岳に着く。
他の季節に登ったことはあるが、春は初めてだ。花と新緑の山は麗しく楽しい。
万二郎岳を過ぎて縦走路を行くとアセビの群生地にさしかかる。これが見たくて、この季節に来たのだ。
初めて見るアセビの花は、白くて丸い小さな花が鈴なりに付いた清楚な佇まいだった。どんな花が咲くのだろうと思い巡らしていたが、こういう花だったんだね。
終わりかけなのか、咲き始めなのか、はたまたこういうものなのかわからないけど、アケビのトンネルは花に包まれて歩くような咲き方ではなく、緑のトンネルに白い花がひかえめなアクセントを添えていた。派手さは無いが、これはこれで奥ゆかしくて良い。清楚なアケビの花にも似合っている。
万三郎岳を過ぎると、縦走路分岐だ。ここからシャクナゲコースを辿れば登山口に帰る。
だが、まだ終わらない。いつかの冬の借りを返しに縦走路を行く。
あの冬、音の無い世界は美しく、白い雪はあらゆるものを隠していた。新雪に踏跡は無く、トレイルの形状も判別できない。目印も無いので、方向を見定めて進むしかなかった。
最初のうちは単純な尾根を進むだけで問題はなかった。しかし、小岳を過ぎ、ブナの原生林を抜けたあたりから怪しくなってきた。
急な斜面はどこをどう降りたらいいのか悩ましかった。広くて緩やかな起伏の連なる尾根は、注意していてもあらぬ方向へ進んでしまう。立ち止まって、何度も方角を確かめた。それでもいつのまにか間違った尾根に乗っていたり、沢を下ってしまったりで、何度もルートを失った。
そうして予想外に時間を浪費して八丁池まで辿り着けず、戸塚峠で引き返したのであった。
いまは春だ。雪はもう無い。薄くて頼りないが、それでもトレイルは見えている。これなら迷うこともない。
ルートを失った場所をひとつひとつ確認していく。それらは確かに雪に覆われていたら間違えそうなポイントばかりだった。
というか、目印増えてない?
ピンクテープやガイドロープがやたらと設置されている。以前は無かったはずだ。これだけ過保護なら、トレースの無い雪山でも迷うことはなさそうだ。
あの冬はなんだったんだと思うと同時に、あれが経験できたことに感謝した。他人の設置した目印を頼りに歩いても面白くない。あの悪戦苦闘の中にこそ、本質的な何かがあったはずだ。
あの日引き返した戸塚峠をあっさりと通過し、その後も快調に進んで八丁池に着いた。到着予想時間よりもかなり早かった。
反対側から来たことがあるので、ここで縦走路が繋がった。
うんうん、これで良し。
池の畔で時間を過ごし、帰り道はのんびり帰ろう。
2023年4月