登山は想像力、そして行動力 – 鋸岳
ついにここまで来た。
中ノ川乗越の向こうに見えるのが鋸岳第二高点だ。
急なガレ沢が岩山の上へと続いている。
あれ、登れるのか?
ここまでもそれほど楽ではなかったが、ここから先はもっと楽ではないはずだ。ガレガレの急斜面の下にしばし立ちすくむ。
なんとなく踏み跡がありそうな、なんとなく歩きやすそうなところを選んで登る。
斜面に堆積した岩は、わずかの力が加わるだけでガラガラと崩れ落ちる。全く岩を動かさずに登るのは不可能だが、少しでもダメージの少ないよう慎重にゆっくり足を運ぶ。それでもいくつかの岩がガラガラと落ちていく、力を込めて踏みつけたら、辺り一帯が崩れ落ちていくだろう。
二人組とソロの男性の三人が後ろに続いているので、細心の注意を払い慎重にならざるを得ない。ある程度の距離をあけて登ってきてくれているが、落とした岩がどこで止まるかはわからない。全員がほぼ一直線の直登ルート上にいるのだ。足元の岩が崩れれば、後続者に直撃しかねない。
精神的にもキツい登りだった。
頂きに剣のささった第二高点。甲斐駒に仙丈、北岳や間ノ岳もよく見える。
そして進む先には第一高点。
ここまでも酷かったが、ここからはさらに酷くなるはずだ。
第二高点でゆっくりしていたので、ここから先は最後尾を歩くことになった。先頭だと気も焦るが、最後尾ならのんびり行けばよい。
まずは大きく下って大ギャップを回避する。
あいかわらずどこもガレていて、少しの動きでガラガラと音を立てて崩れていく。
怖くないの?
不安じゃないの?
山に登らない人からはもちろんのこと、登山を趣味とする人からも、時々そんなことを尋ねられる。
山に登るのに全く不安がない、なにも怖くない、ということはありえない。だからいつも答えに困る。
不安というのは妄想に過ぎない。もしなにかあったらどうしよう…もし遭難したら…もし滑落したら…もし道に迷ったら…そんなことばかり考えてたら山なんて登れない。不安という名の妄想に囚われてると動くことはできない。
想像力を駆使して妄想をひとつひとつ心から引き剥がしていっても、最後にどうしても不確定要素は残る。それを不安と言ってしまえばそうなのかもしれないが、しかしそれは漠然とした妄想とは対極に位置するものだ。
妄想を排除しても最後に残る不確定要素は、もう行ってみることでしか解決できない。行動のみが不安に打ち勝つとこができる。
妄想に囚われず行動する、ぼくが愛するのはそんな人たちだけである。
山で遭難しない唯一の確実な方法は、山へ行かないことだけだ。どんなに簡単な山だって遭難の可能性はゼロにならない。なんでもないところで転んで骨折するかもしれない。もしも自分の登山は安全だと思っているのなら、それも同じく妄想である。自信という名の妄想だ。
山へは死にに行くわけではないが、死ぬ可能性は常にある。
生と死の境界線を彷徨い歩き、無事に帰ってくること。その行為に含まれている、生きているって充実感。その中に自分なりのなにかを描くために、山に登るのだ。
鹿窓へは、真下に岩を落とさずに登れない。わずかの振動で脆い岩が次々と剥がれ落ちる。声を掛けつつ、ひとりづつ登り、突破した。
鹿窓をくぐった先の岩場を越えると、そこが小ギャップだった。これを越えれば核心部はおしまいだ。
先行の三人が順番に登っていくのを、のんびりと眺めて待つ。
さて、最後の登り。
ホールドも豊富だが、岩が脆くていつ剥がれるかわからないので、クサリで登ることにした。しかしこのクサリ、微妙にオーバーハングしたところにかかっていて登りづらい。そういえば下りのクサリも中途半端な位置から垂れ下がっていて、クサリを掴みに行くまでがちょっと怖かった。
登ってみたが、オーバーハングの下で止まってしまった。トラバースするか、降りてやり直すかとも考えたが、クサリを掴んで腕力で一気にいってしまった。
小ギャップを登りきったところでは、先行の三人が待っていてくれた。
名前も知らない、言葉もほんの僅かしか交わしていない、この場で出会っただけの関係だが、妙な連帯感があったのも事実だ。最後尾の自分が核心部を越えるまで、先へ進まず待っていてくれた。登り切ってその姿を見たとき、ちょっと嬉しかったのが正直なところである。
もうあとは第一高点までイージーな道である。
ガスが出てきてしまったが、まだかろうじて甲斐駒も見えていた。
第一高点から角兵衛沢のコルへ向かう道には花が咲き乱れていた。ここまでの核心部もずいぶんと花が多かったが、ここもかなり多い。
核心部を越えてホッとした気持ちもあり、ガスで巻かれたお花畑はまるで天国にいるかのようであった。
釜無川へ向うみなさんとはここで別れ、角兵衛沢を下る。
角兵衛沢もガレガレであった。堆積したガレ岩の上をただひたすら下る。一歩足を動かすごとに、何十個という岩が落ちていく。先は長い。当分ここを下らなければならない。30分でイヤんなった。
下から登ってくる人も何人かいた。見てると、登ろうとしても足元が崩れ、手をついて斜面に四つん這いになってしまい、その四つん這いの姿のままズルズルと滑り落ちていく。上で動くと石を落としてしまうからとじっと待っていても、足元が崩れて石が落ちていく。
そんなガレ沢を三時間も下り続けて、ようやく戸台川へ出た。この先もまだまだ長い。足を濡らさなければ渡れない徒渉もあるし、大きな砂防ダムも越えなければならない。歩く距離も長い。それでも、ここまで来ればもう大丈夫だ。
ポツポツと雨も落ちてきたが、河原に座って湯を沸かし、インスタントラーメンを作って食べた。