どんどん焼き
どんどん焼きとは、元々は昭和初期の東京で流行した軽食で、水で溶いた小麦粉を鉄板で焼いたものである。屋台の食べ物で、サイズは小さく価格は安く、主に子供のおやつだった。戦後になってどんどん焼きは廃れるが、お好み焼きの原型になったとも言われている。
お好み焼きは大阪や広島で進化を重ねて、今や子供のおやつとは言い難い立派なものになっているが、昭和初期に東京から伝来したどんどん焼きが、東北地方の一部では当時と変わらぬ姿で残っている。中心では過当競争で変化を余儀なくされるが、周縁では淘汰圧が低く変化が緩やかなのは様々な事象に見られる。
山形内陸部のどんどん焼きも、昭和初期の姿を今に伝える生きた遺物である。祭りの屋台で見ることが多いが、常時提供している店舗もある。かつてはお好み焼きとも言ったらしいが、いわゆる一般的なお好み焼きの普及した現代では、どんどん焼きとして区別されている。
水で溶いた小麦粉を鉄板上に広げ、海苔や青海苔、店によっては鰹節、紅生姜などを加えて焼き、焼き上がったら割り箸にくるくると巻いて、たっぷりのソースに漬けてできあがり。具はない、99%が小麦粉でできている。

元来は屋台の食べ物だったので、手持ちで食べやすいように箸に巻き付けてあるのだが、ボリュームがあって持ち上げると落ちそうだし、ソースがたっぷりかかっていて垂れるのは間違いないので、手で持たずに箸で食べた。こうなるとどんどん焼きとしてのアイデンティティはどうなるのだろうと考えたが、地元の高校生らしいグループも箸で食べていた。
想像よりもずっと分厚く、みっしりもっちりしている。おやつというより軽い一食分くらいはありそうだ。味は見た目通り、粉物を焼いてソースをかけた味がする。
今風にチーズ入りやカレー味などのバリエーションもあるが、それでもほぼ原初の姿のままで現代に伝えられ、なかんずく今でも現地の老若男女に広く好まれているのは実に尊いではないか。
どんどん焼きが全国に普及する未来が来るとは思えないが、このままいつまでも地元の人々のソウルフードであってほしい。





