贅沢と憂鬱 – 尾瀬笠ヶ岳
縁がないというのか、なんというのか、登るつもりで何度も近くまで行ってるのに登れてない山ってのがある。尾瀬の笠ヶ岳がそんな縁のない山の筆頭だ。
尾瀬ヶ原からの帰りに登ろうと思っていても、鳩待峠までもどってくるとあそこまで登り返す気にはなれない。かと言って至仏山からの下山時にも疲れて寄る気になれない。今回は必ず行くぞと意を決した時に限って、天気が悪くて登る気になれない。そんな状況が十数年も続いていて、尾瀬には何度も行ってるのにいまだに未踏なのであった。
こうなるともう笠ヶ岳だけを目的地にして登るしかない。至仏山からは一方通行で山の鼻へは降りられないのと、湯の小屋温泉を絡めるとバス時刻の都合で車の回収が面倒なのを考慮すれば、鳩待峠からのピストン一択になってしまう。尾瀬まで行って笠ヶ岳ピストンではなんだかもったいない気もするが、そんなことを言い出すといつまでたっても登れない。
行く、行くぞ。今回は行く。富士山で疲弊した翌週、そのままの勢いで決行した。
鳩待峠からまずは至仏山へのルートを登る。よくよく考えたら、ここは毎回下山にしか使わないから登るのは初めてだ。至仏山から下ってきて笠ヶ岳への分岐まで来ればもう下山したも同然な気分になるが、登りだといつまで経っても分岐に着かない。
分岐に着く前に大休止した。もう休憩かよって気もするけどいいんだよ、時間はたっぷりあるのだから。
分岐からは穏やかな道が続く。こちら側へ来る人はほとんどいないので静かだ。
樹林帯の泥々な道を抜けると視界が開けた。尾瀬らしいさわやかな笹原の先には三角型の笠ヶ岳が見える。笠ヶ岳って山はいくつもあるけど、どれもだいたい似た形だよなと思い、そりゃそうだろと思い直す。笠の形の山って、見たままの名前が付いてるんだもの。
正面の笠ヶ岳がかっこいい。ここで天気が悪いと意気消沈だが、山が見えれば気持ちも上がる。
小笠を通り過ぎて笠ヶ岳へ向かう。縦走路は山頂を巻いてるので、そのまま歩いていくと小笠も笠ヶ岳もピークを踏まずに通過してしまう。小笠は登山道が無く立ち入り禁止のため、山頂ではなく巻道に山頂標柱があったが、笠ヶ岳へはどこかから登れるはずだ。
そう思って縦走路を進むが、山頂への分岐が見当たらない。ここを突っ切るのは明らかにまずいと思われる植物が密生した斜面を登っていけば山頂なのだが、さすがにそれはできない。ここは尾瀬だ、だれも見ていないどこかのマイナー山域とは違う。
どっから登るんだろ?分岐はどこ?じっと目を凝らして進むが、見上げる山頂はどんどん近づき、それに伴って斜面の角度は急になる。うーん、これだともっと手前の方が登りやすいんじゃないかな。注意してたつもりだけど分岐を見落としちゃったかな。
もどって確認するかどうするか迷いながら進んでいく。山頂はどんどん近づき、やがて直下まで来て、そのまま通り過ぎてしまった。あれれ、登るとこないじゃんかよ。この先は湯の小屋温泉へと続く縦走路だ。もどったほうがいいかなと思いつつ、でも分岐なんて無かったとも思うので、気がすむところまで行ってみることにした。
山頂は通り過ぎてどんどん離れていってしまう。いや、これもう山頂には登れないんじゃないの?と不信感が芽生える。もはやここまで、平坦なトラバース路が終わって鞍部へ大きく下り始めるところまで来て、ようやく分岐点の道標を見つけた。なんでこんなとこに登り口があるんだよ。
その時のGPS軌跡がこれだ。
これ、右上から歩いてきたら普通に手前のゆるやかな尾根を登って山頂に向かうって思うじゃない。なんで反対側の急角度な斜面からだけ登るようになってんだよ。
その理由は分岐に立って山頂を見上げればすぐにわかる。ここだけガレ沢で植物が生えてないのだ。
てか、これを登るのか?道らしい道は付いてないし、ルートを示すマークもなにも無いぞ。まあでも登っていけば登頂できると信じて登るしかない。いや、ここまで来たら信じられなくても登ってみるしかない。
ガレ沢は見た目よりは簡単だった。いい感じにゴツゴツしてるので、足の置き場に困らない。とはいえ尾瀬の標準から考えると、とんでもないとこ登らせるなあって気にもなる。
しばらくガレ沢を登ったら山頂だった。だれもいない。静かだ。
ずっと雲のかかっていた至仏山が姿を現した。あっちはいま盛り上がってるだろうな。
笠ヶ岳ピストンでは距離も時間も短くてもったいないなって気もしてたけど、こうして山頂でいくらでものんびりできる余裕があるのは、これはこれで贅沢だ。せかせか歩いてたくさん移動するだけが良いわけではないのだよ。
そんなことを考えつつ、ぼおっとしてたらあっというまに1時間経っていた。ぼおっとするのは得意なのでいくらでもぼおっとしてられるのだが、体も冷えてきたしそろそろ下山しようか。
ガレ沢を下っていくと、同世代の男女二人組が登ってきた。雰囲気的に夫婦だろうか。男性のほうはけっこう疲れてる様子で、息も上がっている。その男性が話しかけてきた。
「たいへんな道ですね」
最後の最後にこれですものね。でも難しくなかったですよ。
「あとどれくらい続くんですか」
山頂までこんな感じの道ですよ、いまはだいたい3分の1くらい登ったとこですね。
正確な情報を伝えたのだが、男性はわかりやすく明らかに意気消沈した。
まだ余力のありそうな余裕の表情の女性が続ける。
「どちらへ下るんですか? わたしたちはこれから湯の小屋温泉まで歩くんです」
負けた。なにに負けたか、体力とか登山スキルとかではない、財力に負けた。
湯の小屋温泉に下るということは、今夜はそこで一泊だ。登山のあとに温泉宿に宿泊、美味しい料理と美味しいお酒、もしも有り余るお金があれば、自分だってそんな登山をしたい。したい!したい!したい!山頂でぼおっとして贅沢だなんて、ほんとうの贅沢とはこういうことだ。温泉宿に食事とお酒、しかも男女でだ。冷静に考えれば、宿泊するくらいの金が出せないわけではない。しかし泊まるとしてもひとりでだ。負けた。完全に負けた。完敗だ。本物の贅沢を見せつけられた。いいな、いいな、うらやましいな。
それでは、と平静を装って別れたが、幸せとは?生きるとは?自由とは?うらやましいな、人生とはいったいなんなんだろうと、うつむき加減で歩いた。先週のスパルタ富士山のおかげで今回は体が軽かったのだが、気持ちは少し重くなった。
まあ、今の人生は自分で選択してきた結果なのだし、もう一度やり直しても同じ選択をするだろうから、今できることをできる範囲で精一杯楽しむしかないんだよな。
そう自分に言い聞かせて、鳩待峠へ下った。
2024年9月