S子先輩、富士山へ行く – 後編
休んでも寝てもストック使っても荷物を持ってもらってもまったく快復しない。喘ぎ喘ぎ休み休み、少しづつ体を持ち上げていくしかない。次の山小屋はすぐ近くに見えるのに、そのすぐ近くの距離がいつまでたっても縮まらない。
「酸素缶吸ってみる?」
酸素缶!!それはちょっと…。いや、このさいだから吸ってみようかな。
吸入器を口に当ててレバーをひねると、ぶしゅー!という音ともに気体が噴き出した。あまりの勢いに驚きつつも、おそらく酸素であろうその気体を吸い込む。
「どう?効いた?」
いえ、なにも変わりませんが…。
「わたしも吸ってみよ」
そう言って、S子先輩も酸素缶を吸った。
「うん、なにも変わらないね」
やはり酸素缶は気休めにもならないようだ。
喘ぎ喘ぎ休み休みそれでもなんとか登ってきたものの、ついに九合目で限界がきた。また寝る、もう寝る、とにかく寝ます。
「じゃあ、先に行ってるよ」
そうしてください。ガスはさらに上がってきて、六合目くらいまで来ている。さっさと登った方がいい。パーティーを分けるのはよろしくないが、ここは富士山で登山者は多いし山小屋はあるし問題ないだろう。
「ここで待ってる?」
いえ、少し休んだら登ります。
「じゃあ剣ヶ峰まで行ってもどってくるから、上まで登ったとこで待ってる」
いえいえ、行きますよ剣ヶ峰まで。
S子先輩は、それは無理だろという顔をしていた。
「うんまあ電波も通じるし、後でね」
そう言い残してS子先輩は登っていった。
これでもけっこうがんばってここまで登ってきたのだが、ひとりになったので気ままに好きなだけ休める。ふぅ、天国天国。このままここで寝て待ってるのもいいなと誘惑に負けそうになったが、さすがにそれは恥ずかし過ぎる。しかたがないから登ろう。
九号目からは九合五勺、十合目とあと二区間だ。見上げるとすぐそこなのに、手も届きそうな近くなのに、全然距離が縮まらない。ひとりになって好きなだけ休めるので、いくらでも甘えてしまう。いや、ほんと登るのつらいのよ、なんなんだよこれは。もうやだ、もう無理、登山なんて嫌いだ。ザックを放り投げて眠りたい。登ってる時間より休んでる時間の方が長いじゃないか。これじゃあ山登りじゃなくて山休みだよ。
中国人の女の子たちがわいわいきゃっきゃと写真を撮りあってる。元気だ。次から次へと登山者が登ってきて追い抜いていく。もう一万人くらいに抜かされた気がする。間違いなく今日最も遅いのは私だ。
それでも、歩き続けていればいつかは着く。よれよれになって富士宮口頂上に到着した。前回登ったのは九年前、やはり富士宮口から登ったのだが、その時より二時間半も遅れてしまった。
剣ヶ峰どうするかな。すぐそこなんだけど、あそこまで行って帰ってくるのダルいなぁ。
「あっ、いたいた」
S子先輩だ。剣ヶ峰まで登って帰ってきたところだった。必然的に私の今回の富士登山はここで終了となった。もう登らなくていいと思うと少しホッとした。
さて、予定よりだいぶ遅れているが昼食を作る。今回のメニューは冷やし中華だ。
以前、もうずいぶん前のことだが、ひとりで登った山で冷やし中華を作ったことがある。なかなか美味しくできたものの、二度と作りたくないと思った。なにせラーメン作るのとは比較にならないたいへんさなのだから。
想像してほしい、麺を茹でる水に茹で上がった麺のぬめりを取る水、さらには冷やすための冷たい水が必要だ。そしてそれらすべてをお持ち帰りである。今回は自分で飲む以外に2ℓの水と麺を冷やすために凍らせた600mlのペットボトル2本を持ってきた。さらには冷やし中華のスープにと液体だけでもけっこうな重量だ。具無し冷やし中華というわけにもいかないので、卵やら鶏肉やらきゅうりやらトマトやらいろいろといる。ザルにボールにロートにと余分な調理器具も必要だ。とにかく重いのである。
もう二度と作るもんかと思ったのだが、その写真を見たS子先輩は言った。
「これ食べたい。今度作ってもらお」
いやいや、もう作りませんよとその時はお断りした。何年も前の話で、S子先輩はそんなこととっくに忘れてるだろうけど、夏だし暑いし富士山だし、よーし冷やし中華作っちゃうぞーと張り切って担いできたらこの体たらくだ。
つらい思いをして作った冷やし中華は、標高3700mでは沸点が低くて麺がうまく茹でられないという自然科学的事実を突きつけただけだった。ボソボソで芯が残って全然美味しくなくて、食べるのがつらい拷問メシになってしまった。「美味しいよ」と言って食べてくれていたS子先輩だが、食べ切れずに残していた。量が多かったせいもあるが、おそらくそれだけではないだろう。私も残した。
山頂デザートはカボチャ味のケーキとやたらと甘いぶどうだった。こちらは冷やし中華とは違って安定の高品質だった。
大急ぎで昼食を終えたが、それでも結局1時間そこにいた。実はその1時間の間、ずっとシュールな状況が続いていた。
ちょうど私が到着したとき、だれかが倒れたらしく、同行者なのか小屋の人なのか「お医者様か看護婦さんはいらっしゃいませんかー」と大声で尋ねて回る男性がいた。AEDの電子音が鳴り響き、「がんばってー」という女性の叫び声が聴こえてくる。合流前にその現場を見ていたS子先輩によると、倒れていたのは男性の登山者だったそうだ。
ピッ、ピッ、ピッ、ピッ、ピーン
「がんばってーー」
できそこないの冷やし中華と美味しい山頂デザートを食べてる間もずっと救護活動が行われていた。火口壁は広いのですぐ真横ではないが、50mほど離れた場所には心肺停止状態の男性が横たわっている。
周りを取り囲んでる野次馬もいたが、ほとんどの登山者は風景を眺めたり写真を撮ったり冷やし中華を食べたりと、思い思いに富士山を楽しんでいる。死体のすぐ近くでだ。こんなシュールな状況があるだろうか。
「しかたないじゃない、なにもできることないんだから。わたしたちは医者でも看護婦でもないのだし」
そうクールに言い放っていたS子先輩も、「酸素缶が余ってる方はいらっしゃいませんかー」の叫び声に即座に反応して、例の酸素缶を持って駆け寄っていった。酸素缶が初めて役に立った。いや、心肺停止で酸素は吸えないのではと思うが、藁にもすがる気持ちというのはこういうことだろう。
我々がいた1時間の間ずっとAEDの電子音が鳴り続け、がんばってーと女性は叫び、最後はブルドーザーで麓へ運ばれていった。心肺停止が1時間も続いたのでは、おそらく助からないだろう。
下山は快調だった。荷物はあいかわらず重いけど、下るだけだから楽勝だ。ノンストップで駆け降りていく。
「もう大丈夫なの?」
快調快調、ぜんぜん大丈夫です。
「心配したんだからね…」
ちょっと張り切り過ぎただけですって、しっかり休憩すれば大丈夫って言ったじゃないですか。
「さっきみたいなことだってあるんだから…」
うん、そうですね。
あの登山者だって、無理してたかもしれないけど、頂上までは登ってきたのだ。自分では大丈夫と思っていても。どこかで横になってそのまま息を引き取っていたとしても不思議ではなかったのかもしれない。
「もう歳なんだから…」
最終バスに間に合わなかったらどうしようなんて話してたけど、だいぶ時間を巻いて一本前のバスに乗ることができた。
翌日のニュースで、山頂で倒れていた男性が亡くなったと知った。やはりと思ったが、驚いたのは亡くなった方が私よりいくらか若かったことだ。
ご冥福をお祈りするとともに、自分も気をつけなくちゃなと思い直した。もう歳なんだから…。
2024年9月
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